大不振の昨季…鳥谷 三塁転向が転機に 実働14年目2000安打は日本人最速

[ 2017年9月9日 05:30 ]

セ・リーグ   阪神8―3DeNA ( 2017年9月8日    甲子園 )

<神・D>2回、通算2000安打を達成し、記念のボードを手にファンの大歓声に応える鳥谷
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 阪神・鳥谷敬内野手(36)が8日、DeNA戦の2回に右中間適時二塁打を放ち、史上50人目の通算2000安打を達成した。生え抜きでは83年の藤田平以来34年ぶり2人目。阪神に在籍した選手では初めて本拠地の甲子園球場で成し遂げた。実働14年目での到達は日本人では長嶋茂雄(巨人)らに並ぶ最速。1877試合連続出場の鉄人が大きな勲章を手にした。

 猛虎史に、その名を刻む一打だった。プロ14年目、1956試合目で2000安打に到達。晴れの舞台は努力の汗と悔し涙がしみこんだ甲子園球場だった。王手から歩みを止めず、鳥谷は第1打席で快挙を成し遂げた。

 「1打席目に決めないとプレッシャーがかかると思った。目標にも、考えたことも、打てるとも思ってなかった。500本ぐらいで終わるのかなと…」

 二塁ベース上では万雷の喝采を受け、万感の思いがこみ上げた。2回1死一塁。2ボールからの3球目だ。井納のフォークを右中間へ。入団当時から大きく変わらないしなやか打撃フォームから放った一打は反撃の適時二塁打となり、阪神に在籍した選手では初めて本拠地で決めた。

 「たくさんのファンの前で2000本目を打てて良かった。支えてくれた家族のボールはプレゼントしたい」

 周りにはエリート街道に見えても順風満帆ではなかった。07年9月は肋骨骨折。10年5月には腰椎を骨折し、11年5月には右手人さし指の爪がはがれる重傷を負った。15年6月にも肋骨を骨折。度重なる大けがに見舞われても乗り越えた。遊撃のポジションに強くこだわり、「絶対に試合に出る。1イニングでも休むと奪われる怖さがある」と執念を一番の原動力としてグラウンドに立ち続けた。

 常に危機感を持ち、肋骨を痛めた07年は球団に隠れて病院で検査を受けたことも。「もし何か聞かれたときに大丈夫と言えるように先に病院に行って検査した。でも、骨折だった…」。トレーナー室を訪れることは月に2回程度で、アイシングでさえ周囲の目を気にする。体のケアは自費で購入した数多くの治療器がある自宅が拠点。高熱に見舞われた14年春に5日連続の点滴治療を受けながら出場した事実を球団内で知る者はいない。

 そんな「鉄人」の強い心も大不振に陥った昨季だけは折れそうになった。誰もいないロッカールームで背中を丸めてメンタル系の本を読み込む姿を選手の一人が目撃するほど追い込まれていた。思い詰め、目の状態も本調子ではなくなった。「駄目なら辞めるしかない」。悲壮な思いで再起した。

 数多くの苦難を乗り越えて復活。本心は遊撃手として偉業を達成したかった。ただ、三塁転向を機に、より打撃への思いは強くなった。「三塁手は守るだけでなく、打たないと試合に出られない」。顔面死球で鼻骨骨折した5月も強じんな精神力で耐えた。翌朝には出場のためのフェースガードをつくり、2日後は午前から別のトレーニング施設で体の動きを確認してから球場入り。これぞ、鳥谷の流儀だった。

 寮暮らしの頃は当時の山本晴三寮長がナイター後の深夜に室内練習場で打ち込む姿を何度も目撃。努力で弱点だった内角を克服した。05年冬には優勝旅行先のハワイで一人トレーニングに励んだことも。たどり着いた晴れの日も通過点だと受け止めた。「優勝できていない。勝利に貢献できる1本を積み重ねていきたい」。虎で生まれ育った努力の天才は、さらなる高みを目指している。(山本 浩之)

 ◆鳥谷 敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日、東京都生まれの36歳。聖望学園では3年夏に甲子園出場。早大では2年春に六大学リーグで3冠王。2度の首位打者、5度のベストナインに輝く。03年ドラフト自由枠で阪神入団。04年9月9日のヤクルト戦から1877試合連続出場を継続中。11年に最高出塁率で初タイトル。ベストナインは6度、ゴールデングラブ賞は4度受賞。13年WBC出場。1メートル80、78キロ。右投げ左打ち。

 ≪荒木&阿部に続きNPB今季3人目≫

 鳥谷(神)が8日DeNA戦の2回に井納から右中間二塁打を放ち通算2000安打を達成した。プロ野球50人目。阪神で2000安打以上は藤田が83年に到達して以来34年ぶり2人目。初安打は04年4月2日巨人戦で前田から(左安打)。なお、今季は6月3日の荒木(中)、8月13日の阿部(巨)に次ぎ3人目の達成。同一年に3人以上が2000安打は83年の4人、85、12、13年の各3人に次ぎ5度目になる。偉業達成の鳥谷だが、タイトルには縁がない。首位打者、最多安打、本塁打王、打点王、盗塁王の獲得なしに2000安打達成は山崎(西)、駒田(横)、立浪(中)、清原(オ)、前田(広)、宮本(ヤ)、谷繁(中)に次ぎ8人目。1年目の04年9月9日からは1877試合連続出場を継続中。その結果、13年ラミレス(D)の実働13年に次ぐ2位タイの実働14年で2000本を達成。日本人では68年榎本(東京)、71年長嶋(巨)、72年張本(東映)、15年松井稼(楽)の各14年に並ぶ最速到達になった。

 また、鳥谷は通算1000四球まで残り9。2000安打と1000四球を両立すると、歴代最多四球の王(巨=2786安打、2390四球)らに次ぎ史上15人目で、チーム初の快挙となる。

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