すぐ散ってしまうポピーを…甲子園6本塁打の中村選手が残した記録と記憶

[ 2017年8月26日 10:00 ]

花咲徳栄との決勝で敗れ、痛恨の表情を見せる広陵・中村
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 【鈴木誠治の我田引用】夏の甲子園で、史上最多の1大会6本塁打を打って注目を浴びた広陵の中村奨成捕手が、敗れた決勝の試合後に「勝って記憶に残りたかった」と話した。記録と記憶。特にスポーツ界で、対比してよく使われる言葉だ。中村選手が達成した記録は、本塁打以外にも17打点、43塁打、6二塁打、19安打と計5つもあったが、「優勝」を手に入れられなかった悔しさが、この言葉を言わせたと思われる。

 スポーツ界では「記録よりも記憶に残る選手になりたい」という言葉によく出合う。数字として残る記録より、見た人の脳にすり込まれる記憶を好む傾向がある。緊迫の場面で投じられる1球。試合の行く末を決める一打。いわゆる感動の名シーンを演出する選手になりたいとの思いを、多くのスポーツ選手が持っているのだろう。



 すぐ散ってしまふポピーを買ひにけり



 草間時彦氏の句は、ポピーのはかなさに思いを寄せている。桜に代表されるように、日本人は、はかないものを好むといわれる。場面ではなく、数字という無機質な情報で残る記録より、忘却とせめぎ合いながらも脳の奥底にとどまり続け、ふとした折に、熱い思いとともによみがえる記憶は、確かに、両手のひらで大事に包み込みたくなるポピーに似たはかなさを備えている。

 だが今回、中村選手が打ち立てた記録は、多くの記憶を呼び覚ませてくれた。清原和博氏が持っていた5本塁打の最多記録に迫った時、PL学園の圧倒的な強さの思い出を語り合った人は多かっただろう。最多安打記録に並ばれた水口栄二氏の華麗なプレーも、松山商のユニホーム姿とともによみがえった。そう思えば、記録は、記憶に残らないのではなく、記憶を呼び覚ますスイッチの役割も果たしている。

 中村選手の言葉の真意は、数々、打ち立てた記録に「優勝」を加え、そのうえで記憶に残る大会にしたかったというだろう。だが、決勝の敗戦は残念だったけれども、最後に破れた記憶とともに、今大会の活躍と記録は語り継がれるはずだ。

 さて、ポピーは別名、コクリコ、ひなげし、虞美人草ともいう。可憐な、か弱そうな花に、思いを寄せる人は多い。



 ああ皐月仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟われも雛罌粟



 与謝野晶子氏の短歌は、夫への情熱的な思いを詠んで有名だ。小さな花が田園に一斉に咲く姿は、はかなさでなく、火を思わせる情熱にあふれていた。今大会の中村選手の活躍を、全国でどれほどの人が見ていただろうか。一人一人の記憶ははかなくても、それが集まった時の記憶の熱さは、この短歌ほどにもなるのではないだろうか。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、浜松市生まれ。高校野球の最初の記憶は、1975年、浜松商の高林基久選手が打った、夏の甲子園史上初の逆転サヨナラ本塁打。78年のセンバツで浜松商が優勝した時は、本当に感動した。母校の甲子園出場よりも、浜商の復活を願ってしまうジレンマと、いまだに折り合いがつかない50歳。

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2017年8月26日のニュース