日米が誇る速球投手の1944年 戦争が変えた2人の運命

[ 2017年8月22日 09:00 ]

ボブ・フェラー氏
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】1944年12月2日。その日に米国の戦艦アラバマがどこにいたかを調べてみた。理由は少し待ってほしい。ずっと気になっていたことがあったのだ…。

 フィリピンのルソン島やビサヤ諸島での戦闘を終え、戦艦アラバマが西太平洋上にあるヤップ島から東北東に100キロ離れたウリシー環礁に向かったのが同年11月24日。そこで訓練をして再度ルソン島へ向かったのが12月10日と記されているので、12月2日はグアムとパラオとちょうど中間に位置するこの小さな環礁付近に停泊していたと推測される。

 戦艦アラバマは当初、英国北部のオークニー諸島で船団の警護に当たっていた。しかし太平洋方面の戦闘が激化。日本と戦うために“配置転換”となったようだ。戦後は東京湾に入り、帰国する兵士を乗せるのが主な役目。就役から4年5カ月が経過した1947年に退役となった。

 その戦艦に24門あった56口径40ミリ対空砲の砲撃手は、日本が真珠湾を攻撃した3日後に海軍に志願。重病の父がいたが、母国への愛を貫いての人生の選択だった。出身はアイオワ州の州都デモイン郊外。兵士の名はロバート・ウィリアム・アンドリュー・フェラーと言った。当時23歳の若者だった。

 ボブ・フェラーと言えばピンと来る方も多いだろう。米国で「ブレット(弾丸)ボブ」「ラピッド(速い)ロバート」、そして日本では「火の玉投手」と紹介されて有名になった大リーグ・インディアンスが誇る伝説の速球投手だった。当時の映像をもとにはじき出されたストレートの球速は最速104マイル(約167キロ)。ただし全盛期とも言える23歳から25歳のシーズンを兵役で棒に振ったため、通算勝利(266)は300に届かず、通算奪三振(2581)も3000の大台には乗らなかった。もし戦争がなかったらどうなっただろう?そう感じさせるスポーツ界のアスリートは多数いるが、彼もその1人だった。

 アイオワ州の出身で海軍に志願した若者は、そのほとんどが戦艦アイオワへの着任を希望したという。フェラーも志願。しかしのちに多くの功績を残す砲撃手でありながら、選考でふるい落とされた。

 アラバマよりも大型艦のアイオワは、マリアナ沖やレイテ沖海戦の最前線に配備されるなど、より危険度の高いエリアに赴いている。フェラーを落とした理由…。それは17歳でメジャーにデビューし、1939年に最多勝(24勝9敗)と最多奪三振(246)、1940年の開幕戦(対ホワイトソックス)でノーヒット・ノーラン、そして1941年に3年連続で最多勝のタイトルを獲った大リーグの“宝物”を守ろうとした人が、海軍のどこかにいたからではないだろうか?

 冒頭に戻る。1944年12月2日。フェラーのいたウリシー環礁から北西に2000キロ。日本の屋久島西方の東シナ海で日本の輸送船が米国の潜水艦の攻撃を受けて海の中に沈んだ。乗組員の1人は巨人軍のエースとして活躍した沢村栄治・陸軍伍長。2度目の応召であり、3度目の軍隊生活だった。

 1934年に大リーグ選抜を相手に8回を被安打5、失点1と好投した日本の速球王はその時、まだ27歳。あまりにも短い生涯だった。日中戦争で手りゅう弾を何度も投げさせられて肩を痛め、球界に復帰したときにはサイドからしか投げられず、最後はアンダーハンド。37歳まで現役を続けたフェラーとは対照的な選手生活の晩年だった。

 フェラーはあのとき、戦艦アラバマから2000キロ先に沢村がいたことを知らずに、2010年12月15日、92歳でこの世を去った。もし2人が戦争のない時代にどこかで出会っていれば野球の話で盛り上がったことだろう。「オレのボールの方が速い」「いやオレの方だ」。そんな意地をお互いに張り合っている場面が目に浮かぶ。

 海で生き延びた投手と、そこで人生を終えた投手。日本の終戦記念日(8月15日)と米国の対日戦勝記念日(VJ・DAY=9月2日)が肩を寄せ合うこの季節になると、戦争が終わった日の感覚の差と、砲撃手と伍長との間にあった運命の違いを強烈に感じることがある。

 この原稿を書きながらずっと世界地図を広げていた。2000キロなんてほんのわずかな距離にしか見えない。戦争と海と野球を共有していた日米2人の速球王。少年のころ、夏休みになると地図帳で毎日“世界一周”をしていた私は、やっと宿題をひとつ片付けた…。今、そんな気分にひたっている。 (専門委員)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、佐賀県嬉野町生まれ。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。スーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会に6年連続で出場。

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