荒れていた就任当時 下関国際・坂原監督 12年かかった「最高の2時間」

[ 2017年8月14日 05:30 ]

第99回全国高校野球選手権第6日・2回戦   下関国際4―9三本松 ( 2017年8月13日    甲子園 )

<下関国際・三本松>敗戦に肩を落とす下関国際ナイン
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 涙の理由は負けたからではない。下関国際(山口)の坂原秀尚監督は「最高の2時間でした。下関国際の名前がスコアボードに刻まれた瞬間は本当に感動した。ここまで連れてきてくれた選手に感謝です」と目頭を拭った。

 序盤で4点リードを許しながらも諦めなかった。1日2000スイングをノルマに寸暇を惜しんで振り込んできた打線が5〜8回に1点ずつ返した。主将の植野は5回に反撃の口火となる左前適時打を放ったが、エースとしては12安打9失点。最後まで続投させた指揮官は「これまで一番苦しんできた選手。最後まで信じてあげたかった」と話した。

 植野は今年2月に“失踪”した。携帯電話は入部時に解約させられる。練習は早朝2時間、授業後の午後4時〜11時までというスパルタ。野球漬けの日々に加え、「主将としてチームをまとめきれてなかった」。自己嫌悪が募り、ユニホーム姿で何も持たずに昼すぎに姿を消した。日付が替わろうかという時間にようやく実家に戻り、母親に連れられて監督の元へ。深夜2時まで話し合った。「何度も心は折れたけど、監督さんが拾ってくれた」と振り返る。

 思い返せば、東亜大(山口県下関市)の現役学生だった坂原監督が就任したのは05年8月。当時、下関国際野球部は荒れに荒れていた。部室は窓ガラスが割られ、壁は落書きだらけ。就任直前の山口大会は部員の集団万引が発覚して出場停止。生活態度を正すことから始めた指揮官に反発し、部員が1人になったこともあった。平成版「スクール☆ウォーズ」ともいえる中で、指揮官は「甲子園出場」という夢を語り続け、12年たった今夏にかなえた。先発メンバー中、1、2年生が7人。聖地は来夏も待っている。 (東山 貴実)

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