安吾に学ぶプロ――生活のすべてを結びつける

[ 2017年7月14日 10:00 ]

坂口安吾が月刊『ベースボール・マガジン』(1948年第8号=恒文社)に寄稿した『日本野球はプロに非ず』
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 【内田雅也の広角追球】昼すぎ、雨の新潟に降り立ち、「安吾 風の館」に向かった。新潟出身の作家・坂口安吾の資料展示館である。阪神の遠征(7月4日)で立ち寄った。

 旧新潟市長公館だった館はひっそりとしていた。観覧客はいない。大雨洪水警報が発令されていた。受付で迎えてくれた初老の女性は「こんな雨のなか、ようこそ」とほほえんでくれた。

 「安吾をめぐる人々」として文芸評論家・大井廣介を特集していた。野球評論家も名乗り、戦後、創刊間もないスポニチ本紙に評論や随筆を数多く寄せていた。2リーグ分裂の騒動(1949―50年)で阪神の監督・若林忠志や主砲・別当薫ら主力が新球団・毎日に大量移籍した事件など、戦前戦後の阪神を追った『タイガース史』(1964年・スポーツ新書)は当時の内情を知る貴重な名著である。

 余談だが、毎日が密会場所に使っていたのは大阪・堂島の旧毎日新聞(毎日球団の親会社)社屋の裏手にある小料理店『甚五郎』だった。同店を訪ねると、主人は引き抜きで中心人物だった黒崎貞治郎や大井がよく来ていたと記憶していた。

 安吾と大井との出会いは1940(昭和15)年の大みそか、浅草・雷門だったと分かる。安吾は<評論書きに似合わない奇々怪々な先生だと思って、ひどく好きになってしまった>と『大井廣介という男』に書いている。当時、月に10日は大井宅に寝泊まりしていたそうだ。大井は「さかぐっつぁん」、安吾は大井の本名・麻生賀一郎から「あっさん」と呼びあっていた。交換した手紙・はがきが多く展示されていた。一時期、絶交するが、半年もすると安吾は<僕も忘れた。君も忘れた筈(はず)だ>と手紙を出している。友人であり、よき理解者だった。

 安吾は先の『大井廣介――』でその姿勢を評価している。<彼の評論にはバルザックの隣に安芸の海が現れ、野球もレビューも忍術も知っていることがみんな出てくる><相撲でも野球でも生活の全部が現れ、日本の評論では異例のことに属している>。

 そして、野球だとすれば、生活のすべてを野球に結びつけて考えるのがプロだと主張する。一例として、囲碁の名人を紹介している。<本因坊秀哉(しゅうさい)がうまいことを言っている。玄人の碁打と素人の碁打とどこが違うかといえば(中略)玄人は三面記事を読んでも相撲を見ても料理を食っても、常に碁に結びつけて考える。生活のすべてを碁に結びつけて考えている>。

 こうした姿勢は古くから野球人にもある。日常生活も常に野球に関連づけ、鍛錬する習慣だ。打者はぞうきんを絞った両手の形がバットの握り方と教わり、投手はイスに腰掛ける時もステップする足から横向きに座るようにしつけられた。

 長嶋茂雄は枕元にバットを置いて眠り、夜中に起き出して振った。鈴木啓示は新幹線で決して利き腕(左腕)を通路側に向けなかった。

 V9巨人の名参謀だった牧野茂は<どんな本を読んでも野球にあてはめる癖がある>と記した。夫人の牧野竹代が著した『牧野茂日記』(ベースボール・マガジン社)で読める。ある時、後楽園支配人の机上に徳川家康の東照神君御遺訓を見つけた。<堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもえ><己を責めて、人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり>……など6項目を<現在に通用する指針>と、後の辛抱の用兵・作戦に生かした。

 展示物には安吾が1948年、月刊『ベースボール・マガジン』に寄せた『日本野球はプロに非(あら)ず』があった。大リーグとの比較で技量不足を嘆き<練習用の投手の十人ぐらい用意して、その十人の肩がつぶれるぐらい練習したら、どうだ>と叱咤(しった)している。

 安吾には『肉体自体が思考する』というエッセーがある。<われわれの倫理の歴史は、精神が肉体について考えてきたのだが、肉体自体もまた考え、語りうる>。

 大リーグで「安打製造機」と呼ばれたトニー・グウィンの言う「マッスル・メモリー」(筋肉記憶)を思う。ロッテにも在籍したジム・ラフィーバーは大リーグの指導者として「練習を重ねてこそ、筋肉に記憶が蓄積される」と語っている。

 安吾は自身のプレーには謙遜しているが、文壇野球チームで4番投手を務めたほどの野球好きだった。もう70年ほど前の指摘だが、プロのあり方として、示唆に富んでいる。 =敬称略=(編集委員)

 ※引用部分は現代かな遣いに改めました。

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 大阪紙面で主に阪神を追うコラム『内田雅也の追球』を書き続けて11年目。題材を得たいとジャンルを問わず読みあさる。自室は本で乱れ、天井まで届く書棚を設けて改装した。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭(旧制和歌山中)―慶大文学部卒。

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