【西東京】サヨナラ負けの都府中西 エース・田辺、亡き父に贈る背番号1

[ 2017年7月13日 21:03 ]

第99回全国高校野球選手権西東京大会2回戦   中大杉並5―4都府中西 ( 2017年7月13日    多摩一本杉 )

<都府中西・中大杉並>175球の力投の末にサヨナラ負けした都府中西の田辺投手
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 4―4で延長に突入した試合は、同11回裏に中大杉並が1点を奪ってサヨナラ勝ちし、3回戦に進出した。都府中西のエース・田辺海投手(3年)は10回に一度、マウンドを降りた以外は11回をほぼ投げ抜く奮闘を見せたが、最後は力尽きた。

 都府中西の大平一郎監督は「勝たせたかった。残念」と声を絞り出した。勝たせたかったのは、もちろんチーム。ただ、その中でも先発の田辺には、特別な思いがあった。田辺の父・望(のぞむ)さんは昨秋、46歳の若さで亡くなった。望さんは生前、大平監督に「ダメだったら、すぐ代えてください」と言うような親だった。亡くなる直前の昨年の秋季大会。初めて背番号1を背負った田辺を大平監督は「全然、ダメ」とすぐに代えた。それを望さんに謝ると「その方が良かった、感謝しています」と伝えられたと明かした。

 その「1」の背番号を、田辺は父の棺に入れた。母・和泉さんは振り返る。「いいの?と聞いたら、また取ればいいからって」。春季大会は1をもらうことはできなかったが、この夏、再び背番号1を背負った。和泉さんは「苦しい時期があったけど、チームメートや友だちに支えられて成長し、強くなった」。父を失い、背番号1も失った。だが、回りに支えられることで、田辺は悲しみを乗り越え、成長した。試合中、苦しい場面で田辺は帽子を取り、中に書いてある3年生からのメッセージを見つめた。秋とは重みが違う「背番号1」を手に入れたエースは、一人で戦っているのではなかった。

 望さんが亡くなり「最初は野球を続けるか、迷った」と言う田辺は「親の分もやりなと、母に言われた」と明かした。野球経験者ではなかった父だが、キャッチボールをし、弱点をともに克服し、何でも正直に言ってくれる練習相手でもあった。思いを込めた175球。父に勝利を贈ることはできなかったが、田辺は最後にこう言った。

 「自分にできるベストを尽くしたと、報告したい」

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2017年7月13日のニュース