【広島】キムタクJr、廿日市・恒希 父を感じて駆け抜けた夏

[ 2017年7月13日 05:48 ]

第99回全国高校野球選手権広島大会2回戦   廿日市8―9舟入 ( 2017年7月12日    コカ・コーラウエスト )

<舟入・廿日市>「5番・一塁」で先発した廿日市・木村
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 勇姿は夏空の向こうへ、きっと届いた。「5番・一塁」で先発した廿日市(広島)の木村恒希(3年)は左打席でバットを短く持ち、食らいついた。父・拓也さんのように―。

 3時間21分の激闘だった。11回は左前打、12回は右前打。追い込まれてもファウルを重ねて懸命に突破口を開き、2度の勝ち越し生還を果たした。最後は1点差に迫られ、なお1死二、三塁からツーランスクイズを決められた。懸命な本塁返球も及ばず、サヨナラで敗れた。

 「勝ちたかったけど、チームの底力は見せられた。高校で野球をやって改めてプロの世界はすごいと思う。父を尊敬しています」

 表情を歪めたのは整列が解けた一瞬だけ。少年だった7年前と同じように気丈だった。父が急死した10年4月。追悼試合で始球式を務めた。悲痛な母・由美子さんを目の当たりにして後を継ごうと決めた。無理をして強豪シニアに入部。思い詰める様子を心配する母に「楽しく野球をやりたい」と打ち明けた。中学の野球部へ移り、“自分の野球”を楽しむようになった。

 父が生前使ったグラブやバットは使用の跡が消えないように手を触れず家族で大切に保管してきた。将来の夢は建築に携わることで進学を希望。2年時の右膝手術を乗り越えた最後の夏を前に「やり切ってくるから」と母に誓った。由美子さんは一塁側で祈るように見守った。「似てるんです。野球をやっている時の顔は本当に」。瞳は潤んで見えた。「父には“最後までやり抜け”と教えてもらった。力を出し切った―と報告します」。短くても濃厚な夏を戦い抜き、晴れやかに胸を張った。(友成 貴博)

 ◆木村 拓也(きむら・たくや)1972年(昭47)4月15日、宮崎県宮崎市生まれ。宮崎南では強打の捕手で1年夏に甲子園出場。90年ドラフト外で日本ハム入団。94年オフにトレードで広島に移籍し97年から両打ち転向。06年シーズン中に巨人移籍。投手以外の守備をこなす俊足・巧打のユーティリティープレーヤーとして活躍した。現役引退後の10年から巨人内野守備走塁コーチに就任も、4月2日の広島戦(マツダ)試合前にくも膜下出血で倒れ、同7日に死去。享年37。現役通算成績は1523試合で1049安打、53本塁打、280打点。

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