【岩手】高田 震災から7度目の夏11―0コールド発進 水野が投打けん引

[ 2017年7月11日 05:30 ]

第99回全国高校野球選手権岩手大会2回戦   高田11―0一戸 ( 2017年7月10日    花巻 )

<高田・一戸>初戦に勝利し、1番ポーズで帰路につく水野(中央)ら高田ナイン
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 岩手県立高田高校は10日、全国高校野球選手権岩手大会2回戦で一戸を11―0の5回コールドで下し、初戦を突破した。エースで4番も務める水野夏樹投手(3年)は5回をわずか1安打に抑え、打っても2安打2打点。最高気温36度の過酷な環境にも負けなかった。水野の卒業後の夢は、大学日本一の立大で野球を続けること。夢を夢で終わらせないために。水野と高田高校ナインの夏は続く。

 ドクターヘリがグラウンド上空を飛んだ。救急車のサイレンも鳴り響く。最高気温36度。異様な雰囲気の中でも水野の集中力は途切れなかった。切れのいい直球。落差のあるカーブ。滑るスライダー。4回まで完全投球。コールド勝ちが見えた5回こそ先頭打者に安打と四球を許したが、全く危なげなく後続を断ち切り「暑さの対策はしっかりとしてきましたから。不安はありませんでした」と屈託なく笑った。

 昨夏の岩手大会準々決勝、対盛岡大付戦。2番手で登板した水野は8人の打者に4安打、3四球を許した。1年を経た同じ花巻球場で成長を証明した。

 「昨年の秋から調子を落としてしまって…。でも今日は自分の武器である緩急をうまく使うことができました」。4番としても初回の右前2点打など2安打。中心選手としての役割を果たした。

 夢がある。

 全日本大学野球選手権で59年ぶりの日本一に輝いた立大野球部のユニホームに袖を通すことだ。立大は東日本大震災直後の2011年4月に陸前高田市とさまざまな分野で連携する協定を結び、支援や交流を続けてきた。高田高校にも立大の推薦入学枠が設置され、野球部からも毎年のように立大に進学している。

 昨年の主将・伊藤智也、エース・千田雄大も今春、大学日本一の立大野球部の一員となった。同部は毎年恒例の野球教室を6月25日に陸前高田市内の中学生73人を対象に行い、高田高校OBの伊藤、千田のほか山口直樹(3年)も参加した。

 「(伊藤)智也さんとは一緒に食事もすることができて、いろいろなお話を聞きました。どんな練習をしているとか、どんな選手がいるとか。本当に憧れます。今はこの夏で勝つことしか考えていませんが、いつか自分もその一員になることができたなら…」。しかし、野球の神様に愛されさえすれば、水野の夢がかなうというわけではない。

 東日本大震災時、水野は小学5年生。グラウンドで野球の練習中に津波が押し寄せた。危うく津波にのまれる寸前に辛うじて避難することができたが、自分たちの街がのみ込まれていく瞬間を目の当たりにせざるを得なかった。自宅も流され、ようやく再建できたが「住宅ローンは、ずっとありますからねえ。でもやりたいようにさせてあげたい」と母・早苗さんは言う。「両親の苦労に比べれば、自分はたいしたことはありません」。水野は言った。

 立大だけでなく、東日本大震災をきっかけにできた縁は今も続いている。いち早く高田高校を訪問した群馬・桐生商とは毎年、練習試合を行っている。大船渡市内の練習グラウンドの整備に駆けつけてくれた浜松市への遠征も恒例だ。早大、明大野球部などとの交流もナインの財産になった。

 あまりにも不幸な出来事ではあった。言葉にはできない悲しみがあった。しかし、それでも7回目の夏がまた来た。 (田村 智雄)

 ≪OBら立大野球部 中学生に野球教室≫立大野球部の25人は6月25日、陸前高田市立第一中学で高田東、第一、気仙の各中学の73人を対象にした野球教室を行った。全日本大学野球選手権決勝で先発した手塚周(2年、福島出身)や高田高校OBら東北出身者は10人。2013年に震災後初の「夏1勝」となった盛岡中央戦で決勝打を放った山口は「奇跡の一本松」の前でチームメートに「自分もこの松のように真っすぐに生きていきたい」と話した。

 ▼復興へのプレーボール〜陸前高田市・高田高校野球部の1年 東日本大震災で甚大な被害を受けた同校硬式野球部の姿を通して、被災地の「現在」を伝える連載企画。2011年5月11日に第1回がスタート。12年3月まで月に1回、3日連続で掲載。その後も不定期で継続しており、今回が56回目となった。

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