ハムOBが、球界関係者が上田氏悼む 梨田監督「残念です…」

[ 2017年7月3日 05:30 ]

 ▼日本ハム・金子打撃コーチ(上田監督の下、3年目に新人王)どの球場でもベンチの真ん中に陣取る。それが名物だった。(現役を)引退する日に合わせてお手紙を出して、その翌日に電話した。「よくやったな」と言ってもらった。

 ▼日本ハム・白井内野守備走塁コーチ兼作戦担当 情熱を持たれている方。あれだけ実績があっても誰よりも試合でエネルギーを出していた。僕は現役の最後の頃だったので、指導者はこうあるべきだと勉強になった。

 ▼日本ハム・田中2軍監督(上田氏が監督に就任した95年に再び外野から)遊撃を守ることになって、その年が一番打てた。熱い思いを持っている方で、一生懸命さが采配にも表れていました。

 ▼中日小笠原道大2軍監督 プロに入った時の監督。今の自分があるのは上田さんのおかげだと思っています。これまで、ずっと見守っていてくれていたので、ただただ残念です。

 ▼阪神・片岡打撃コーチ(4年目の)95年から5年間、お世話になりました。本当に厳しく指導していただいて、若いときにそれがあったから試合にも出られたし、今もこうしてコーチとして野球に携わらせてもらっている。

 ▼阪神・金村投手コーチ 3年目に中継ぎで使っていただいて、「ええで、ええで」と言ってもらって、意気に感じて投げたことを思い出します。翌年(98年)にタイトル(最優秀防御率)も獲らせてもらった。

 ▼阪神・中村外野守備走塁コーチ キャンプで夜の7時までぶっ続けで練習をしたり、とにかく練習が厳しかった。裏表のない厳しさで、チームを強くしたいという純粋な気持ちだったと思う。

 ▼ロッテ・田口バッテリーコーチ(入団3年目から上田監督の下でプレー)プロでやっていく礎を築かせてくれた方。継続することの大切さ、人間として成長することを学んだ。

 ▼オリックス・星野投手コーチ(84年入団したときの監督で)普段は優しいが、ユニホームを着たらとても厳しい。印象に残っていることは、キャンプ中の投内連係。緊張感が凄かった。どれだけ打たれても使っていただき、自分を育ててくれた。感謝の気持ちしかありません。

 ▼楽天・梨田監督 残念です。西宮(球場)のグラウンドでハンドマイクを使って怒鳴り散らしていたね。日本シリーズのヤクルト戦でのあの抗議、あの勝利への執念は凄く印象に残っている。

 ▼ロッテ・伊東監督 強い時代の阪急というイメージ。僕が若いときに球宴でどんどん起用してもらい、良い経験をさせてもらった。野球界でいろんなことを教えてくれた大先輩です。

 ▼プロゴルファー・尾崎将司(徳島海南野球部の後輩)私の実家は(上田家と)50メートルしか離れておらず、いつも身近な存在だった。宍喰(ししくい、現海陽町)という小さな町の中で大監督と言われるまでになった。優しい方で、私のことも大変応援してくれていた。安らかにお眠りください。

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2017年7月3日のニュース