山田氏、福本氏悲痛 「ええで、ええで」の名将・上田利治氏死去

[ 2017年7月3日 05:30 ]

88年、阪急さよなら試合の語、「ブレーブスはファンのもの」とあいさつする上田利治監督
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 阪急(現オリックス)、日本ハムで監督を務めた上田利治(うえだ・としはる)氏が1日午前2時55分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。日本ハムが2日、発表 した。80歳だった。阪急監督時代の1975年から日本シリーズを3連覇するなど、リーグ優勝5度、日本一を3度記録。歴代7位の監督通算1322勝、03年に野球殿堂入りした名将の訃報に、野球界は悲しみに包まれた。

 上田氏の訃報に、誰もが驚いた。75〜77年の日本一3連覇に貢献した阪急戦士たちも悲しみに暮れた。

 球団初の日本一となった75年に4番を任された長池徳士氏は「今朝知りました。体調が悪いとは聞いていましたが…」と絶句。関大の後輩で引退後は監督とコーチとして接した山口高志氏は「4年ほど前に神宮の記者席で会ったのが最後」と驚いた。「世間では“ええで、ええで”の口癖が有名でしたが、コーチの私には“あんたなあ”で、これが聞こえてくると“選手に甘い”とお小言が始まった。私にとっては恩師の集大成のような方」と故人をしのんだ。

 阪急、オリックス、日本ハムを指揮し、上田氏は監督20年間で歴代7位となる1322勝。エースとして黄金期を支えた山田久志氏は「普段は温厚でも野球になると激しく、熱くなる方だった。阪急ブレーブスを球界の勇者に導かれた」と残念がった。

 今も語りぐさなのは、78年ヤクルトとの日本シリーズ第7戦。大杉勝男が左翼ポール際に放った飛球が本塁打と判定され、1時間19分の猛抗議。判定は覆らなかったがソフトバンクの佐藤義則投手コーチは「自信があったから、あれだけ抗議したのだろう」と当時を思い出した。

 上田氏について、歴代1位の1065盗塁を誇る福本豊氏は「投手の癖を見抜くなど情報を収集し、緻密な阪急の野球をつくりあげた」と言い、中日の加藤秀司2軍打撃コーチは「西本(幸雄)さんに野球を教えてもらい、上田さんに野球を勉強させてもらいました」と振り返る。住友平氏は「人を動かすことにかけては超一流。現役引退するときに“コーチになれ”と指導者の道を切り開いてくれた」と感謝した。

 ◆上田 利治(うえだ・としはる)1937年(昭12)1月18日、徳島県生まれ。徳島海南から捕手。関大では村山実(元阪神)とバッテリーを組み56年の大学選手権優勝。59年に広島入り。現役3年間で通算121試合で打率.218。62年から広島、阪急のコーチを務めた。74〜78年、81〜88年阪急監督、89、90年オリックス監督、95〜99年日本ハム監督。75年から3年連続日本一。78、84年リーグ優勝。監督通算20年で1322勝は通算勝利数歴代7位。03年野球殿堂入り。

◇上田利治氏葬儀日程

【通夜】5日(水)午後6時

【告別式】6日(木)午前10時

【場所】公益社会館 たまプラーザ=神奈川県横浜市青葉区美しが丘2の21の4=(電)045(904)3050

【喪主】妻勝子(かつこ)さん

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