【上田氏を悼む】「書いちゃいかんぞ」仰天話連発“秘密の宴会”

[ 2017年7月3日 08:35 ]

1989年2月、高知キャンプに臨んだ上田監督率いるオリックスナイン
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 阪急からオリックスへ変わった激動の1989年シーズン、担当記者としてそばにいた。激情型、頑固一徹と思われがちだが、温厚で気配りを欠かさない人だった。

 2次キャンプ地の高知の休日を選手宿舎で粘り、帰ろうか、と思った時だった。保谷俊夫マネジャーから「監督が食べようと言っている」と声がかかった。ロビー以外は取材禁止。固辞していると自ら「何してるんや」と呼びにきてくれた。大広間には住友平、中沢伸二、福本豊らコーチ、スタッフが顔をそろえて宴会の真っ盛り。その輪の中に招き入れてくれた。結束をうかがわせるように笑いが絶えなかった。イタズラ好きの福本さんが酔った今井雄太郎さんをトイレットペーパーでミイラ男に変身させて監督が眠っている部屋に放り込み、騒ぎになったことなど、とんでもないエピソードが飛び出した。

 チームはその年、松永、福良、ブーマー、加入した門田、石嶺、藤井と続く強力打線で開幕から勝ち続け、6月30日には2位近鉄に8.5差。優勝確実かと思われたが投手陣が振るわず、勝率.567で近鉄にわずか1厘及ばず2位に泣いた。

 原稿に追われ続けた一年だったが、あの夜からどれだけ仕事がやりやすくなったことか。「書いちゃいかんぞ」とくぎを刺されていましたが、その約束は破ります。申し訳ありません。そして、本当にありがとうございました。合掌。(1989年オリックス担当、大阪本社編集局長 中根 俊朗)

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2017年7月3日のニュース