阪神ドラ1大山 連敗脱出弾!新人プロ初安打弾は“神様”八木以来30年ぶり

[ 2017年7月2日 06:30 ]

セ・リーグ   阪神3―1ヤクルト ( 2017年7月1日    甲子園 )

<神・ヤ>3回2死二、三塁、大山はプロ初安打となる左越え3ランを放つ
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 阪神は1日のヤクルト戦(甲子園)に3―1で勝ち、連敗を8で止めた。「5番・一塁」で先発したドラフト1位の大山悠輔内野手(22)が、3回2死二、三塁から左越え先制3ラン。通算9打席目にして生まれた待望の初安打が、千金の決勝打となった。

 球団新人で初安打が本塁打は87年の八木裕以来。金本監督の大抜てきに応えたルーキーの一打をきっかけに、チームは再浮上を狙う。

 スタンドインを確認すると、大山の表情は少しだけ緩んだ。「ファンの皆さんの声援がホームランにしてくれました。(ダイヤモンド一周は)今までの人生で一番、幸せでした!」。猛虎の未来を担う大砲候補が、力強く一歩目を踏み出した。

 屈辱から始まったプロ野球人生だった。宜野座キャンプでは実戦16打席連続無安打を経験。「もう僕、終わりましたかね…」と自虐的になった。連日の猛練習で体重は約5キロ減の80キロとなり、技体ともについて行けない日々。食事の際には、炭酸水しかのどを通らない日もあった。首脳陣からは「そんなことじゃ、やっていけないぞ」とハッパをかけられた。同じメニューを軽く平らげる先輩の姿を見て、「このままじゃいけない」と焦りも感じた。

 グラウンドでも苦悩は尽きなかった。試合に出る度にレベルの高さを痛感。「球の質が全然違います。“このフォームで打とう”というのが、わからなくなってきて」。3月の壮行試合で対戦した侍ジャパンの投手陣には特に、衝撃を受けた。

 くじけそうになる試練の日々で、背中を押してくれたのは茨城・つくば秀英高で共に戦った仲間たちだった。同級生には西武のドラフト2位右腕・中塚もおり、当時の県内では有力校の位置づけ。だが、最後の夏は土浦三の前に初戦敗退を喫し、高校野球生活の幕は閉じた。

 以来「この悔しさを、それぞれの人生で絶対に晴らそう!」と誓い合う。同高野球部の同期で構成されたグループラインは、『記録より、記憶に残る俺ら』と名付けられた。

 「1回戦負けということで、逆に絆が深まった気がします。一緒に悔しい思いをした仲間なので。応援してもらえるのはすごく力になりますし、皆に喜んでもらえる活躍をしないといけないですね」

 そのグループラインには、大山がメディアに取り上げられる度に「がんばれ!」「応援してるぞ!」といった激励コメントであふれた。オープン戦期間中、茨城でテレビ中継される日には必ず当時のメンバーが数人集結。声援を送った。

 仲間への思いもモチベーションに、2軍では体力強化と技術向上を両立。最高の結果につなげた。開幕から3カ月でようやく描いた1本のアーチは、仲間だけでなく、たくさんの人の『記憶』に残ったに違いない。

 昇格した6月18日から前日までチームは7戦負け続けた。「悪いモノを持って来たと思っていました…」。人知れず苦しんだ分、充実感は大きかった。(巻木 周平)

 ◆大山 悠輔(おおやま・ゆうすけ)1994年(平6)12月19日、茨城県生まれの22歳。小1から野球を始める。つくば秀英では投手兼遊撃手で2年夏に茨城大会8強。3年夏は初戦敗退。甲子園出場経験なし。白鴎大では1年春から三塁手で出場。4年春にはリーグ新記録8本塁打をマークし、大学日本代表の4番も務めた。1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

 ≪V打は初≫大山(神)が3回にプロ初安打となる1号3ラン。阪神のルーキーでプロ初安打が本塁打になったのは、87年の八木以来30年ぶり。ドラフト制以降では7人目だが一発がV打になったのは初。また、新人に限らなければ阪神では昨年4月3日DeNA戦で高卒4年目の北條がプロ初安打を本塁打でマークしている。

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