42歳森慎二コーチ急死に衝撃 球団本部長「前の日まで全然分かりませんでした」

[ 2017年6月29日 05:30 ]

パ・リーグ   西武3―4ロッテ ( 2017年6月28日    沖縄セルラー )

西武の救援投手として活躍した森さん
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 西武は森慎二(もり・しんじ)投手コーチが28日午後0時10分、多臓器不全のため福岡市内の病院で死去したと発表した。42歳。山口県出身。葬儀・告別式は未定。25日にヤフオクドームで行われたソフトバンク戦前に体調不良を訴えて入院していた。96年ドラフト2位で西武に入団。救援投手として活躍し、大リーグにも挑戦した。15年にコーチとして西武に復帰。指導者としてチームを支えてきたが、42歳の若さで帰らぬ人となった。

 試合後の午後10時50分すぎ。森コーチの死去を受け、沖縄セルラーで報道陣に対応した辻監督は、目を真っ赤にして涙を拭った。

 「数日前まで一緒にやってきた。優勝を目指してきた仲間。ショックですよ。つらいです」と声を震わせた。

 訃報は突然だった。森コーチが体調の異変を訴えたのは25日。デーゲームのヤフオクドームで午前9時半すぎに球場入りしたが、試合前に福岡市内の病院へ向かい、そのまま入院した。球団から病気療養が発表されたのは2日後の27日。そしてこの日、亡くなった。

 鈴木葉留彦球団本部長は試合後に選手たちを集めて説明し、報道陣にも発表。「(体調不良を訴える)前の日まで全然分かりませんでした」と声を絞り出した。辻監督だけには試合前に伝えられ、悲しみを抱えてロッテ戦に臨んだ。2度リードされる展開も追いつく執念を見せたものの、延長11回の死闘の末、敗れた。指揮官は「練習が終わってから聞きました。今日は本当に勝ちたかったです…」と漏らした。

 森コーチは96年ドラフト2位で西武に入団。150キロを超える直球とフォークを武器に主に救援投手として活躍し、02年に71試合に登板してリーグ優勝に貢献した。02、03年は最優秀中継ぎ投手に輝いた。05年オフにポスティングシステム(入札制度)でデビルレイズ(現レイズ)に移籍したが、06年3月のオープン戦で3球を投げただけで右肩を脱臼。メジャーで登板のないまま07年に契約を解除された。09年からBCリーグでプレーしてNPB復帰を目指していたが、14年限りで現役を引退。右肩脱臼の悲劇から、ひのき舞台に立つことはできなかった。

 15年に西武の2軍投手コーチに就任。昨季途中から1軍コーチとなり、ブルペン担当になった。救援陣の整備に尽力し、今季は「リリーフ陣はみんな信頼している。パ・リーグでどこにも負けないと思っている」と話していた。選手やスタッフの兄貴分として人望も厚かった。まだ42歳。指導者としての手腕を期待されていただけに、突然の死はあまりにも衝撃が大きい。

 ▼ロッテ・伊東監督(西武での現役時代にバッテリーを組み、監督としても指導)心配していたが、まさかこうなるとは思っていなかった。あまりにも早すぎてショックを受けている。

 ▽多臓器不全 生命維持に必要な複数の臓器の機能が低下した状態。腎臓、呼吸器、肝臓、血液系、心血管系、消化器、神経系の7つのうち2つ以上が同時に、あるいは短期間で機能不全に陥った致命的状態をいう。

 ◆森 慎二(もり・しんじ)1974年(昭49)9月12日、山口県生まれ。岩国工から新日鉄光、新日鉄君津に進み、96年ドラフトで逆指名(2位)で西武に入団。02、03年と2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。06年にポスティングシステムでデビルレイズに移籍も、右肩を故障しメジャー登板なし。09年にBCリーグ・石川に入団し、10年から監督。15年から2軍投手コーチとして西武に復帰。NPB通算431試合44勝44敗50セーブ。

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