井口 転機となった二塁へのコンバート メジャーでもプラスに

[ 2017年6月21日 09:20 ]

ロッテ・井口 今季限りでの現役引退を表明 ( 2017年6月20日 )

ダイエー時代の1999年9月、リーグ優勝を決めて王監督(右)とビールかけをする井口
Photo By スポニチ

 【担当記者が明かす井口の素顔】輝かしいキャリアの中でのターニングポイントは、01年の二塁コンバートだと思う。内野の華である遊撃からの配置転換に悔しさもあっただろうが、春季キャンプでは泥だらけになってノックを受けていた。

 スマートなイメージが強いが、グラウンドでは練習の虫。小久保や川崎ら、とにかくよく練習した当時のダイエーの中でも、井口の量がNo・1だと証言する関係者もいた。グラブは小指、薬指を中指と同じ程度まで深く差し込めるように改良。逆シングルとなる二遊間の当たりを小指でもいいから当てて、ボールを止めようという狙いだ。その後のメジャーも、二塁手で挑んだことがプラスに働いた。端正なマスクの裏には、反骨心と高いプロ意識があった。 (00〜06年ダイエー、ソフトバンク担当 森寛一・スポーツ部デスク)

 ☆ダイエー時代(97〜04年) 96年ドラフト1位(逆指名)で入団。97年5月3日の近鉄戦でのプロ1号は満塁本塁打で、新人のデビュー戦での満塁弾は史上初だった。99年に初の優勝&日本一。01年から登録名を忠仁→資仁に変更し、44盗塁で初タイトルに輝いた。同年はベストナイン、ゴールデングラブ賞(ともに03、04年にも受賞)。03年には2度目の盗塁王。01〜04年に球宴出場。

続きを表示

この記事のフォト

2017年6月21日のニュース