青木、情熱の2000安打!甲子園未経験 努力の男が大台到達

[ 2017年6月13日 05:30 ]

ア・リーグ   アストロズ6―12エンゼルス ( 2017年6月11日    ヒューストン )

日米2000安打達成後、ケーキでお祝いする青木と佐知夫人。左は原田雅章個人トレーナー、右は稲治昂佑通訳
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 アストロズの青木宣親外野手(35)が11日(日本時間12日)、地元ヒューストンでのエンゼルス戦で6回に左前打を放ち、日本選手では史上7人目の日米通算2000安打を達成。8回にも右前打し、今季2度目の3安打で2001安打(日=1284、米=717)とした。高校時代は無名だった男が、日々の努力で低評価を覆し、最高峰の舞台で大台に到達した。

 一塁塁上で数秒の間を経て、青木は頬を緩めた。電光掲示板には「2000HITS」の文字。日米合算の記録に対し、3万2425人の地元ファンが総立ちで祝福してくれた。「負けていたけど、“今はちょっと笑っていいんだな”と」。背番号3はヘルメットを取って応えた。

 4回の右中間適時二塁打で王手をかけ、迎えた6回無死。らしい流し打ちで三遊間を破った。04年10月6日阪神戦のプロ初安打がよぎったが「あの時はこれからプロでやっていくぞという気持ち。今の方が野球に対する情熱がある」。これこそが自身を押し上げてきた原動力だった。

 日米通算2000安打を達成した過去6人(イチロー、松井秀、松井稼、中村、井口、福留)はいずれも甲子園出場経験があり、高校時代から注目されていたが、青木は強豪とは言えない宮崎・日向高出身で甲子園とは無縁。しかも投手だった。指定校推薦で進学した早大でも同期の鳥谷(阪神)ほど評価は高くなく、ドラフト4巡目でヤクルトに入団。名球会のブレザーを手に「名球会だって、俺が。高校の頃の自分を知っている人はこうなるとは誰も思っていなかっただろうね。信じていたのは自分だけだと思う」と感慨に浸った。

 1メートル75、81キロの小さな体。日本球界初の2度のシーズン200安打を達成しながら、11年オフにブルワーズと契約する際には実力を見定める「公開練習」を課された。毎年のようにチームが変わりながらも、5年連続で打率2割8分以上をマーク。思い出の一本を聞かれ「生き残っていくためには、どれも必要な一本」と言った。

 ジャイアンツ時代の15年8月、頭部死球を受け、脳振とうに。常に気分が悪く、わずかな音も頭に響く。日常生活もままならない。「感情をコントロールできずイライラして、佐知(夫人)にも当たってしまった」。後遺症により9月5日にシーズン終了。野球人生で最大の危機にも、変わらなかったのが「野球をしたいという気持ち」。情熱だった。

 肉体的なハンデは技術で補ってきた。毎試合、毎打席変わる打撃フォームだけでなく、バットも「その時の感触に一番合ったもの」を使い分ける。今季も既に6種類。「いつも“もしかしたら間違っているかもしれない”と思っている」。探究心を持ち続け、変えることを恐れない。

 今季加入したア軍はメジャー最高勝率で快進撃を続ける。試合後、シャンパンで祝福してくれた同僚に呼び掛けた。「Win Tomorrow!(明日勝とう!)」。次の一本、そして自身初のワールドシリーズ制覇へ青木の情熱が尽きることはない。(小林 由加通信員)

 ◆青木 宣親(あおき・のりちか)1982年(昭57)1月5日、宮崎県生まれの35歳。日向から早大を経て03年ドラフト4巡目でヤクルト入り。首位打者3度に輝くなど、05、10年と史上初めて2度のシーズン200安打以上をマーク。11年オフにポスティングシステム(入札制度)でブルワーズに移籍し計5球団でプレー。WBCでは3度の日本代表。1メートル75、81キロ、右投げ左打ち。

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