大島洋平 固め打ちで荒木超え狙う

[ 2017年4月25日 09:30 ]

4月24日現在、リーグトップの打率・398をマークしている中日・大島
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 【宮入徹の記録の風景】巧みなバットコントロールは球界屈指だ。大島洋平外野手(31)は24日現在、打率・398でリーグトップ。安打数は20試合を消化し35本とハイペースで積み上げている。打球方向別では左翼9、中堅8、右中間1、右翼10とバランスよく広角に打ち分ける。内野安打も両リーグ最多タイの7本と足で稼げるのも強みといえるだろう。

 さらに今季の大島は固め打ちが多い。1試合3安打以上の猛打賞は既に6度を数え、うち4度が4安打と手がつけられない状態だ。シーズン1試合4安打以上の最多記録は中日の先輩、荒木が04年にマークした9度。月別では4月1、5月3、6月2、7月1、8月1、10月1となっており、4度目を記録したのは5月27日のヤクルト戦でチーム41試合目だった。

 60年以降の両リーグを調べると5月までに1試合4安打以上を4度は荒木の他に88年秋山幸二、94年パグリアルーロと、ともに西武の選手がいるだけ。4月までに4度は大島しかいない。今季の中日はまだ123試合も残している。大島が荒木を抜き、史上初の2桁に乗せるか今後が楽しみだ。

 ここで荒木以前のシーズン1試合4安打以上の記録を振り返ってみたい。1リーグ時代は13年秋に巨人の中島治康がマークした6度が最多。このシーズン、中島はプロ野球史上初の三冠王を獲得した。出場38試合と少ない試合数だったが、10月17日タイガース戦から11月1日セネタース戦まで9試合で5度の4安打と神がかりともいえる猛打を披露した。

 中島の記録を抜いたのは同じ巨人の青田昇で2リーグに分立した50年に7度マークした。当時はラビットボールといわれる飛ぶボールを使用。同年セ・リーグのチーム打率は・265と高かったことも記録更新の追い風になった。

 その後、青田の記録は長く抜かれずにいた。ようやく壁を打ち破ったのが96年オリックスのイチローだった。このシーズンのイチローは8度の4安打以上を含め、当時プロ野球新記録となる26度の猛打賞をマーク。最初の1試合4安打はチーム62試合目の6月23日ダイエー戦と遅かった。それでも8月入るとエンジン全開。1試合4安打を4度マークするなど、月間安打は48本。この数字はいまだにプロ野球最多記録として残っている。

 昨年の大島は1試合4安打以上が2度。うち7月20日広島戦ではサイクル安打を達成した。これまでサイクル安打を2度以上記録したのは昨年の阪神の福留まで4人いる。ただし2年連続は未記録。4安打の多い大島なら達成してもおかしくない。

 ところで1試合3安打以上を猛打賞というネーミング。実は小説「アカシヤの大連」で芥川賞を受賞した、作家で詩人の清岡卓行氏が名付け親となっている。戦後の1949年に日本野球連盟(現在の日本野球機構の前身)に就職。日程編成などの仕事をされていた。自らの随筆集「猛打賞」の中で「私の思いついたのが、1試合3安打以上の選手へ送る猛打賞である。これは私自身には野暮ったく、泥臭く、いささか子供っぽく感じられた。」と、やや自嘲気味に述べている。しかしながら、猛打賞は今ではプロ野球ファンの間に広く浸透。清岡氏は06年に亡くなられたが、猛打賞はプロ野球の歴史とともに今後も使われ続けるだろう。 (専門委員)

 ◆宮入 徹(みやいり・とおる)1958年、東京都生まれ。同志社大卒。スポニチ入社以来、プロ野球記録担当一筋。94年から15年まで記録課長。本社制定の最優秀バッテリー賞の選考委員会には、1回目の91年から26回連続で資料説明役として出席。

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