報徳・永田監督勇退 9回猛追2点差に「ただただ感動」

[ 2017年3月31日 05:30 ]

第89回選抜高校野球大会第11日・準決勝   報徳学園4―6履正社 ( 2017年3月30日    甲子園 )

<報徳学園・履正社>永田監督は履正社に敗れ大阪桐蔭・西谷監督(右)にねぎらわれる
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 自ら「最高の場所」と表現した聖地に整列すると、永田裕治監督はアルプスに向かって深々と頭を下げた。指導の根幹である「全員野球」は控え選手も含め全部員で戦うことを意味する。「苦しい時はアルプスを見ろ」と教え、ともに苦しい練習に耐え、見えない力を与えてくれた“同士”へ感謝の儀式でもあった。

 「よう頑張りました。想定外。悔しいというより、まさかここまで…。高校生の力は凄い。ただただ感動を覚えた」

 下馬評では圧倒的に不利な中、一時は2点差を逆転した。再逆転を許し3点を追う9回。「奇跡を起こそう」と最後の指示を飛ばすと1死一塁から代打山本が右前打し小園が右前適時打。球場全体が何とも表現できない空気に包まれ始める中、永山の快音を発した鋭い打球は二塁正面を突き併殺打となった。

 1981年夏に同校の右翼手として春夏連続で甲子園に出場。夏は全国制覇を果たした。30歳だった94年に監督に就任したが、名声を誇った母校は自身の優勝以後、選抜に3度出場しただけで夏は激戦区・兵庫を一度も制することはなかった。特待制度もない中、卒業後の進路を確保するなど少しずつ生徒らや周囲の信頼を得ていった。就任2年目の95年選抜出場を皮切りに02年春に優勝を飾るなど春11度、夏7度の甲子園出場で通算23勝を積み重ねた。

 代名詞でもある「逆転の報徳」を最後に見せることはできなかった。ただ、23年間に及ぶ監督生活で「報徳の魂」を復活させたことは間違いない。目を潤ませたが、涙することはなかった。「初めて楽しく采配を振るわせてもらった」。目に焼き付けた全40試合は大きな財産。常に先頭を走ってきた名将が、最後もチームの先頭に立ち、甲子園に別れを告げた。 (吉村 貢司)

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