「日本ハム入団を拒否した男」JR東日本・山口 ホロ苦社会人デビュー

[ 2017年3月14日 11:00 ]

<スポニチ大会 JFE東日本・JR東日本>5回途中7失点で降板した先発のJR東日本・山口裕
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 「3年ですか…」。ひと呼吸置くと、こう言った。「3年は長いですね」。

 12日、社会人野球の東京スポニチ大会を取材した。予選リーグ、JR東日本とJFE東日本の対戦で、JR東日本の先発マウンドに立ったのは山口裕次郎投手。18歳、新人のサウスポーだ。そして、彼にはもう一つの修飾詞が付く。「日本ハム入団を拒否した」という――。

 昨秋ドラフト前、山口は調査書を提出した11球団に対して4位指名以下ならJR東日本へ進む意向を明示。6位で指名した日本ハムに対し、入団しないことを伝えた。選んだ新たな道、社会人野球でデビューを飾る公式戦が、東京スポニチ大会だった。

 初戦、11日のトヨタ自動車戦でリリーフで1回1/3を無失点。翌日は先発を任された。5回裏の守りに就いた時点で9―2のリード。初先発初勝利が見えていた。

 安打、失策、四球で1死満塁。マウンドに来た堀井哲也監督から「全力でバッターをアウトに取ってこい」と尻をポンと叩かれた。だが、連続長短打を浴びて9―6。交代を告げられた。与四死球は7。「練習でやっていることができず、制球が定まらなかった。修正する技術が足りなかった」と振り返った。

 ただ、被安打は5回に3本を集中されたものの、4回までは1本。スリークオーターとサイドの中間ぐらいに位置する腕の振りは独特で、球の出どころが見づらいフォームから切れの良い球を繰り出す。堀井監督は「森福投手と重なる。球速も球の質も」と言った。今季ソフトバンクから巨人に移籍したリリーバーはアマチュア時代、愛知・豊川高から社会人のシダックス入り。2年目の06年、都市対抗でJR東日本の補強選手として活躍したキャリアがある。

 森福はシダックスの廃部にともなう措置で2年でプロに進んだが、山口は次のチャンスまで3年間待たなければならない。「長いですね」。そう言った後、言葉を続けた。「ケガをしたらやっかい。しっかりケアしながら、焦らず、一気にやるんではなく一つ一つ課題をやっていきたい」。たとえば。体の動きに対して腕の振りが遅れがちで、「バラバラ」という認識がある。お手本は高卒3年目の先輩で、ドラフト1位候補と目される田嶋大樹だ。

 「目標は制球力を上げていくこと。大きく見たら…チームのエースになれるように」。大志を抱き、長い道のりを歩んでいく。(記者コラム・和田 裕司)

 ◆山口 裕次郎(やまぐち・ゆうじろう)1998年(平10)5月14日生まれ、大阪府寝屋川市出身。小1から野球を始め、中学では寝屋川ベースボールフレンズに所属。履正社では1年秋から背番号18でベンチ入り。2年秋から背番号10に。3年時はエース寺島(現ヤクルト)との二枚看板で春の大阪府大会、近畿大会を制し、夏は甲子園に出場した(3回戦敗退)。1メートル80、87キロ。左投げ左打ち。

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