野球という仕事 和田毅は「いつか」のための新球に取り組む

[ 2017年2月20日 09:00 ]

キャンプ室内ブルペンで投げ込むソフトバンク・和田
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 【君島圭介のスポーツと人間】宮崎・生目の杜は連日、春季キャンプ見物のソフトバンクファンであふれている。室内ブルペンにも黒山の人だかりがある。その視線の先に和田毅がいた。隣では話題のドラフト1位右腕・田中正義が投げていた。

 若い右腕は50球程度で切り上げたが、和田は投げ続ける。打席に打者役を立たせ、本番さながらの集中力だ。当初の予定投球数は超えても熱が入り、「投げちゃえ」とマウンドを降りなかった。この日は136球を投げ込んだ。「昨季は100球を超えた頃に疲れが出ることがあった」。5年ぶり日本球界復帰した昨季は15勝を挙げ、リーグ最多勝に輝いた。

 日米通算15年目の今キャンプ。肩のスタミナ強化と平行して取り組むのが新球だ。「右打者の内角へのツーシームは投げ始めたばかり。そこを攻めるのは真っすぐしかなかった」。和田の代名詞は球の出所が見えにくい独特のフォームから繰り出すスピンの効いた直球。140キロ台前半でも打者のバットは空振りを繰り返す。大リーグに移籍する前年の11年が16勝だから先発投手としてのクオリティーはまったく落ちてない。奪三振率は11年が8・19、16年が8・67とむしろ上がっている。

 今年36歳のシーズンを迎えるが、年齢的な衰えは微塵もない。それでも新しい球にこだわるのは「いつか」に対する備えだ。

 「年齢的にもいつかそういうボールが必要になる。今は直球で空振りが取れていてもいつ通用しなくなるか分からない。必要になってからではなく、今からやっておく方がいい。もしかしたら今年必要になるかもしれないから」

 左腕が投じる右打者の内角を突くツーシームは脅威だ。体に向かってきて、足元に落ちてくる。それだけに繊細なコントールが必要になる。今持っているものを磨きながら、さらなる武器を求める。

 何故か。和田は「生き残っていくため」と言い切った。早大時代には通算476奪三振で東京六大学野球の通算奪三振記録を達成。プロ入り後も常にトップを走り続けてきた。それでも「今のままではいつか通用しなくなるという危機感を持ってやってきた」という。

 直球もいつか通じなくなる。それは40歳のシーズンかもしれない。だが、和田はその現実と今向き合う。「1年でも結果が出なければ新しいのが入ってくる。そうしたらもう戻れない」。田中や高橋純平、松本裕樹ら一回り以上も年下の投手が後方から必死に追ってくる。全力を尽くしても追い抜かれるまで、和田はマウンドを譲るつもりはない。だから「いつか」使う球を今磨いている。(専門委員)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。

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