生誕100周年 伝説の大投手・沢村栄治

[ 2017年2月17日 09:30 ]

今年生誕100年となる沢村栄治投手
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 【宮入徹の記録の風景】今年はプロ野球草創期に巨人のエースとして活躍した沢村栄治投手の生誕100周年に当たる。同投手は1917年2月1日生まれ。太平洋戦争で44年に27歳の短い命を閉じたが、日米野球での快投をはじめ数々の伝説を残した。

 巨人入団後の36年9月25日タイガース戦でプロ野球史上初のノーヒットノーランをマークするなど、通算3度のノーヒットノーランは最多タイ記録。37年春には歴代初のMVPに輝く。そうした顕著な功績を称え、1947年からはシーズンで最も優れた先発完投型の投手に沢村賞が与えられている。通算成績は105試合63勝22敗、防御率1・74。

 プロ野球公式戦での初登板は巨人の初試合となった36年7月1日の名古屋戦(戸塚)。同年4月29日、大東京対名古屋戦(甲子園)で日本のプロ野球が始まったが、巨人は米国遠征のため夏季から参加した。この試合で沢村は先発し、2回2/3を投げ味方の守備の乱れもあって5失点(自責2)で降板。初勝利は7月16日大東京戦(山本)で自身4試合目の登板だった。

 36年夏季の巨人はチーム内のごたごたもあり2勝5敗と負け越し。秋季リーグは開幕前の群馬・茂林寺での猛特訓が実り、18勝9敗の快進撃。総合勝ち点で並んだタイガースと優勝決定戦(3回戦制)を行い、沢村が2勝を挙げ巨人は初代王者に輝いた。

 沢村の投球成績を見ると、その才能が最大限に開花したのが、36年秋と37年春の2シーズン。36年秋は15試合に登板し、13勝2敗、防御率1・05。37年春は30試合で24勝4敗、防御率0・81。トータル37勝6敗、勝率は実に・837に達した。この間、先発登板は34試合あって10完封を含め全て完投。6回以上を自責点3以下に抑えたクオリティー・スタート率は100%と相手打線を寄せ付けなかった。

 通算奪三振は765回1/3を投げ554(奪三振率6・51)。37年春196(7・23)、37年秋129(8・29)と2度奪三振王を手にした。36年秋の112奪三振(8・38)と合わせ100奪三振以上は3度。1リーグ時代の春秋2シーズン制下で、100奪三振以上を3度記録したのは沢村しかいない。

 沢村といえば、最大のライバルとしてタイガース・景浦将(45年に29歳で戦没)の名前が挙がる。公式戦では36年秋、37年春、同年秋に対戦があり通算42打数7安打(被打率・167)、1打点、7三振、3四球。本塁打は36年優勝決定戦の第1戦で1本打たれたが、公式戦では0に抑えた。景浦との対戦で目を引くのが立ち上がりでの圧倒ぶりだ。公式戦通算14度の対戦で1打席目は12打数1安打(・083)、6三振、2四球。2打席目以降の奪三振は1つしかなく、ほとんどが1打席目に奪ったもの。試合開始直後の好敵手に対する気迫が伝わってくる。

 2人が最後に同じ試合に出場したのは、ともに一時復員後の43年7月6日(西宮)。この試合は沢村の生涯最後の登板となった。兵役で右肩を痛めたこともあり投球は精彩を欠き、先発3回を投げ5失点と乱れ降板。景浦は沢村が退いた後の8回に代打で登場。6年ぶりの対戦はかなわずライバル物語はピリオドを打った。(専門委員)

 ◆宮入 徹(みやいり・とおる)1958年、東京都生まれ。同志社大卒。スポニチ入社以来、プロ野球記録担当一筋。94年から15年まで記録課長。本社制定の最優秀バッテリー賞の選考委員会には、1回目の91年から26回連続で資料説明役として出席。

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2017年2月17日のニュース