反省は全き屈服の異名…オリックスオーナーの深い言葉

[ 2017年2月17日 09:00 ]

選手やスタッフに訓示するオリックスの宮内義彦オーナー(左)
Photo By 共同

 【鈴木誠治の我田引用】プロ野球の春季キャンプが花盛りの中、2月12日に宮崎を訪れたオリックスの宮内義彦オーナー(81)の言葉が、紙面に載った。昨季、パ・リーグ最下位。20年も優勝から遠ざかっているチームに、温厚な印象のオーナーが厳しい言葉を投げかけた。

 「日本一になった日本ハムが順調なキャンプなら、もう1年、日本一になれる。ただ、我々が順調なら、また最下位。順調ではなく、目の色が変わってクレージーなキャンプになっています、というなら、ちゃんとやっていることになる」

 オーナー自らが「訓示じゃなくて説教」と言ったというグラウンド上での厳しい言葉に、選手は顔から血の気が引いたことだろう。前日には、福良淳一監督にも「とにかく勝て」と厳命したそうだから、野球好きで知られるオーナーの本気度がうかがえる。

 さて、「順調なら、また最下位」という言葉、鼓舞のための単純な言葉遊びとは違って、意外に深いなあと感じる。思い浮かんだのは、こんな文章だった。

 反省的言辞など一切吐いてはならぬ。反省は全き屈服の異名であり、自己批判は哀願でしかないからだ。

 小説家の高橋和巳氏が「日本の悪霊」の中で書いた一文だ。宮内オーナーの目には、チームの雰囲気が、昨季の反省をもとに順調にキャンプを消化しています、と写ったのだろう。大型補強した2015年は、優勝候補に挙げられながら5位。昨季はついに最下位。2004年の近鉄との合併後、一度も果たしていない優勝への思いが、クレージーという言葉になって表れたと思われる。

 高橋氏の小説の前段には、こうある。

 弁解がましく、ものを言い、自己を正当化しようとする。精神の堕落は挫折からははじまらない。挫折を自己正当化しようとすることからはじまる。

 わたしは、反省が大好きだった。反省しなければ進歩はない。そう思って、すぐに反省するのだが、どうも、反省する行為自体が進歩だと思ってしまい、その後の行動に結びつかない面があったと、今は思う。直木賞作家の向田邦子氏が、「手袋をさがす」というエッセーの中で、反省するのをやめた経緯を、わかりやすく書いている。

 反省したことで、罪業消滅したと錯覚して、そのことに何の罪悪感ももたず、一日もたてば反省したことすら忘れてしまって、また同じ過ちを繰り返していたのです。(略)私は毎日反省をしています、という自己満足だけが残るのではないか、と思ったからです。

 オリックスのキャンプは順調なのだろう。反省して満足はしていないだろうし、優勝という目標も飾りではないと思う。ただ、国内屈指の実業家のオーナーには、物足りなく見えたのかもしれない。理屈ではなく、クレージーに見えるほどの勝利への強い渇望が。

 反省や自己批判だけでなく、順調すらも、自己の正当化や自己満足になるなんて。人間が進歩するのは、簡単ではないなあ…。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、浜松市生まれ。妻に「反省する暇があったら、行動しろ」と言われて猛省したが、ついつい反省し続けて50歳。

続きを表示

2017年2月17日のニュース