元ロッテ香月 熊本で再出発 “第2の故郷”に恩返しを

[ 2017年2月14日 12:40 ]

鮮ど市場ゴールデンラークスの香月良仁投手
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 For Kumamoto(熊本のために)――。きょう14日で熊本地震から10カ月を迎える。「復興元年」の今年、元ロッテの香月良仁投手(33)が社会人野球の鮮ど市場ゴールデンラークス(旧熊本ゴールデンラークス)に戻ってきた。昨年10月にロッテから戦力外通告を受けた右腕は、第2の故郷である熊本に恩返しをするために、プロ入り前に在籍した古巣への9年ぶりの復帰を決断。エースとして自身が出場した08年を最後に遠ざかっている都市対抗野球大会に再びチームを導く。(東山 貴実)

 長いようで短かった8年のプロ生活。香月は「一流の才能がないことは分かっていたし、プロの世界にくっついていくのに必死だった。もちろん幸せなこともあったけど、正直、しんどかったですね」と振り返った。

 プロの他球団からオファーがなかった時点で、ケジメとして一時は野球から離れることも考えた。しかし、昨年4月以降、香月の心の中には第2の故郷である熊本の傷ついた姿が深く刻まれていた。06年に入社した「鮮ど市場」。熊本地震で店舗を兼ねた6階建ての本社ビルは損壊。多くの従業員が被災した。千尋夫人の実家も熊本市内ということもあり、香月は昨年4月19日から3日連続でQVCマリン(現ZOZOマリン)の入り口で、涙ながらに被災地への募金活動を行った。

 「仕事を失ったり、人生が変わってしまった人もいる。自分1人で熊本を盛り上げていく力はないけど、僕が入ることでチームに純粋にプラスになればと思って…。熊本は自分を育ててくれた場所。そして、お世話になったチームが負けているのはやっぱり悔しい」

 その思いに背中を押され、次の人生のステージに古巣である鮮ど市場ゴールデンラークスを選んだ。かつてはスーパーの総菜売り場に勤務しながら野球を続けた。現在も「大変だけど、それが社会人野球」と言うように、今春立ち上げ予定のスポーツ振興事業部への配属に向け、同社が提携するゴルフジムに早朝6時半から勤務。雑用から始まり、接客、さらにトレーニング法や栄養学の勉強もしている。チームの全体練習は午後2時から7時まで。その後、筋力トレーニングなど自主トレを行い、熊本県合志市の球場をあとにするのは午後8時半過ぎだ。慣れない環境に加え、ロッテ時代の昨年まで2月のこの時期は沖縄・石垣島で春季キャンプ。「いつも暖かい場所にいたので、コンディション作りも大変ですね」と言いながらも、2日連続のブルペンで計300球を投げ込み、「アマチュアは練習での球数が圧倒的に少ない。その辺のメニューは変えました」と精力的だ。

 目標は自身が出場した08年以来となる都市対抗大会にチームを導くこと。チーム最年長の33歳は「仲間には“どうせやるなら、東京ドームに行こうぜ”と言っています。僕も都市対抗の舞台に立って、人生が変わったので、今いる若い子たちにも経験させてあげたい。それが叶えば、僕がここに来た意味があると思う」と言葉に力を込めた。

 ゴールデンラークスの1期生であり、ゴールデンラークスから最初にプロ入りしたのも香月。そんなレジェンド的存在であっても、右腕はこう言う。「当然、またこのチームでエースを目指していく。それを目指さないのなら、選手をやるべきではない。プロ上がりで社会人野球で(エースとして)バリバリ投げている人間はなかなかいないので、自分がその先駆者となる。それもモチベーション」――。

 もうプロではない。それでも、毎日が充実しているという。2017年のチームスローガンは「For Kumamoto」(熊本のために)。「僕もまだ野球を勉強中。プロにいた時よりレベルアップした自分を見せたい」。確約された未来などなくても、愚直に前に進む。それこそが“熊本魂”であり、また1人、復興への新たな旗振り役となる。

 ◆鮮ど市場ゴールデンラークス 熊本市に本拠を置く社会人硬式野球チーム。母体は、スーパーマーケットチェーンの「鮮ど市場」。チーム名は「黄金に輝くひばり(熊本県の県鳥)」の意。2005年に「鮮ど市場」の創業30周年を記念して「熊本ゴールデンラークス」として設立され、翌06年から活動開始。「働かざる者野球するべからず」がチーム方針。07、08年に都市対抗に出場し、ともに2回戦敗退。16年に会社名を冠した「鮮ど市場ゴールデンラークス」に改称された。

 ◆香月 良仁(かつき・りょうじ)1984年(昭59)1月22日、福岡県久留米市生まれの33歳。柳川高2年の00年春にセンバツ出場も登板機会なし。第一経済大に進学し、卒業後に鮮ど市場に入社し、熊本ゴールデンラークスに入部。07、08年に2年連続で都市対抗に出場し、08年ドラフト6位でロッテに入団。新人イヤーの09年にイースタン・リーグで最多勝のタイトルを獲得。10年4月29日の西武戦(西武ドーム)で先発し、1軍初勝利。15年には自己最多の40試合に登板した。プロ8年間で登板65試合、4勝3敗1セーブ、防御率4・58。1メートル80、82キロ。右投げ右打ち。

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