北京五輪で痛感した難しさ 巨人・村田 WBCは攻撃的に

[ 2017年2月8日 09:36 ]

歴代侍の金言 巨人・村田修一

右大腿部裏側を負傷し無念の帰国となった村田
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 連覇した09年の第2回大会。巨人・村田は肉離れで米国から緊急帰国したが、WBCはプロ野球人生の糧になっている。

 「ケガのリスクはある。それでも後悔はないと思う。海外のトップクラスの選手とガチンコで試合をして、自分の力がどれくらいなのか見極められる大会なんです」

 前年の08年、北京五輪に出場して短期決戦の難しさを知った。セ・リーグは07年にクライマックスシリーズが導入されたばかりで、村田は未経験だった。8試合の出場で23打数2安打、打率・087。日本もメダルなしの4位に終わった。悔いばかりが残り、「短期決戦は攻撃的にいかないといけない」と知った。

 迎えたWBC。シーズン中は常に考えていた「次打席」、「次戦」のことを頭から捨てた。「次の試合のことは考えずに、その試合、その打席に集中することだけを考えた」。3月5日の中国との1次ラウンド初戦(東京ドーム)から2試合連続本塁打。4番も務め、7試合で打率・320と打線の中核を担った。「前年(北京五輪)の失敗が生きた」と言う。

 2次ラウンドの韓国との順位決定戦(ペトコ・パーク)で走塁中に右大腿部裏側を肉離れした。昼と夜の寒暖差の激しい米国の屋外球場に「デーゲームだったり、ナイターが続いた。もうちょっと(体のケアを)考えれば良かった」と振り返るが、後悔はない。それ以上に得たものが大きかったからだ。

 「どんな打席でも100%。この打席で結果を出す、この打席で打つ」。その意識改革は現在のポストシーズンでも生きている。短期決戦は攻撃的に――。世界一奪還を狙う侍戦士にも貴重な金言となる。 (神田 佑)

 ▼村田の途中離脱 2次ラウンドの韓国との順位決定戦で4回に中前打を放ったが、一塁に向かう際に右大腿部裏側を痛めて退場した。肉離れと診断され、原監督は広島・栗原を緊急招集。帰国した村田は世界一連覇の瞬間をテレビで見届けた。侍ナインが優勝トロフィーとともに、自身の背番号「25」のユニホームを掲げる姿に目頭を熱くした。

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