【球団トップに聞く】楽天・立花社長 ラグビーで培った精神力で逆境も楽しむ

[ 2017年1月21日 10:30 ]

球団トップに聞く!楽天・立花陽三球団社長(下)

田中将大のパネルの前で語る楽天・立花陽三社長
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 メリルリンチ日本証券の常務執行役員まで務めた立花球団社長。しかし、12年8月、それまでの外資系証券マンとしての顔を捨てた。「12年5月に(東日本大震災の)被災地に来て。何かしようと思っても、何もできない自分がいた。その直後に(オーナーの)三木谷(浩史)さんと会ったときに、“社長をやらないか”と声を掛けていただいて。運命的なものを感じた」。悩みはした。だが、プロ野球球団の社長職は国内に12しかないポスト。ワクワクが上回った。

 ただ、野球に関しては“無知”だった。「うちの選手ですら知っていたのは数人だった」。初めて見た試合も衝撃的。「(観衆)1万人ぐらいの試合を見た。ガラガラだったので何とか埋めたい、というところからのスタートだった」。新たなことを始めるには障害はつきもの。だが、どれほどタフな仕事でも乗り越えてきた。翌13年にはチームは日本一に輝いた。観客動員も就任以来、右肩上がりだ。

 ラグビー部に所属した慶大時代に培った“根性”が生きた。「理不尽だった」と振り返る4年間。早慶戦の1週間前には、合宿所の玄関にマネジャーが「緊張」と書いた。「書かれたら1週間、笑ってはいけなかった。笑ったら丸刈りとか、退部とか。そういう世界だった」。伝統の魂のタックルも「(回数など)覚えてない」ほど、やらされた。「死ぬほど嫌な大学生活を歩ませていただいたので、つらいことがあっても、大して嫌じゃない」。人並み外れた精神力。だからこそ、逆境にもポジティブに進んでいく。

 チームは優勝した翌年から3年連続Bクラスと低迷する。それでも、昨年は新人の茂木が遊撃の定位置をつかむなど若手の台頭も目立ってきた。「松井裕とか森、安楽とか(若手の)投手陣も出てきてくれたら、しっかりと戦えると思う」。一時の栄光ではない。次は着実なステップを踏んで、頂点を目指す。 (黒野 有仁)

 ◆立花 陽三(たちばな・ようぞう)1971年(昭46)1月10日、東京都生まれの46歳。成蹊高から慶大総合政策学部に進学。大学時代はラグビー部でSOとして活躍。卒業後、94年にソロモンブラザーズ証券に入社。その後、ゴールドマン・サックス証券を経て、10年にメリルリンチ日本証券に入社。11年に同社常務執行役員に就任。12年8月に楽天野球団の代表取締役社長に就任した。

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2017年1月21日のニュース