野球殿堂入りした星野仙一と平松政次 岡山県が生んだ2人の巨人キラー(1)

[ 2017年1月20日 08:30 ]

展示パネルの前でポーズを決める殿堂入りした伊東勤氏(左手前)、星野仙一氏(同奥)、平松政次氏
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】球界の発展に寄与した先達のレリーフが並ぶ野球殿堂博物館殿堂ホール。1月16日、星野仙一さん(現楽天球団副会長)と平松政次さん、私にとっては郷土のヒーローが肩を並べた。競技者表彰エキスパート部門で揃って野球殿堂入りしたのである。

 「私には本当に似合わないような席なんですけど、何か間違いが起きたのかなと…。しかも高校時代に競った平松君と同時に岡山県出身の二人が名誉ある殿堂入りということで、皆さんに感謝したい」

 星野さんが穏やかな表情でこう話せば、平松さんは「この場に立って夢ではないかなと…。ちょっと待って下さい」と言って右の頬をつねった。

 「痛いです。夢の中の夢。野球人として最高の名誉である殿堂入りをさせていただき、誠にありがとうございました。まだ驚きと喜びが半々ですが、星野さんと同時に入れたのは因縁があるんでしょうね」

 ともに1947年(昭22)生まれ。星野さんは1月22日に倉敷市、平松さんは9月19日に高梁市で産声を上げた。学年は早生まれの星野さんが一つ上になる。

 倉敷商3年生の星野さんと岡山東商2年生の平松さんが激突したのは64年夏の岡山大会準決勝だった。

 岡山と鳥取の2県で1枠の甲子園切符を争う東中国大会進出をかけた一戦。平松さんは1、2回戦連続で完封しながら準々決勝からは3年生のエースにマウンドを譲り、4番ライトに入った。

 同じ県立の商業高校。毎年夏の大会前に定期戦を行い、互いに手の内を知る対戦だったが、一方的な試合になった。倉敷商が11―2で圧勝。平松さんは星野さんの前に4打数無安打に封じ込まれた。

 「星野さんは体は細かったけど、真っ向勝負の本格派。何と言ってもシュートが凄かった。私もプロに入ってシュートを投げたけど、高校生レベルであんな鋭いシュートを投げる人は見たことがない。私に対してもほとんどシュートで、すべてどん詰まり。バットをへし折られ、内野ゴロばかりでした」

 投げては3点を先行された3回から登板し、火に油を注ぐ8失点。走者としても一塁から二塁へ荒っぽいスライディングで併殺を防ぎにいく星野さんの気迫に圧倒されたという。

 星野さんに言わせると「平松は3年生になって伸びたんや」。余裕の貫禄勝ちだったようだ。だが、甲子園は遠かった。米子市で行われた東中国大会。倉敷商は1回戦、0―0の延長10回に星野さんのサヨナラヒットで米子東を破ったが、決勝で米子南に2―3と惜敗した。

 倉敷商にこてんぱんにやられた岡山東商は新チーム結成と同時に、学校の敷地内に新しい合宿所が完成。早朝5時に起床し、日が暮れたら体育館で深夜に及ぶ猛練習を開始した。(特別編集委員=つづく)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。早大卒。東京の予備校に通っていた74年10月、冬期講習申し込みの列を離れて後楽園球場に走り、長嶋茂雄最後の雄姿に涙する。82年の巨人を皮切りにもっぱら野球担当。還暦を過ぎ、学生時代の仲間と「バンドやろうぜ」で盛り上がっている。

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2017年1月20日のニュース