阪神大震災から22年 V戦士オリ田口2軍監督が当時を語る

[ 2017年1月18日 05:30 ]

阪神大震災から22年。(左から)福良監督、田口二軍監督、長村本部長、T―岡田ら選手、コーチ、球団職員ら80人が黙とう
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 1995年の阪神・淡路大震災から22年を迎えた17日、オリックス・田口壮2軍監督(47)は福良淳一監督(56)らと「ほっともっとフィールド神戸」の本塁付近で黙とうをささげた。オリックスの主力選手として「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝を果たした当時の思いはいまも薄れていない。

 「ほっともっとフィールド神戸」のホームベース付近で田口2軍監督は黙とうを捧げた。現役選手だった22年前のことが鮮明に頭の中をよぎった。

 「この日を迎えると、いろいろと思い出しますね」

 当時はプロ4年目。合宿所「青濤館」を退寮して神戸市北区のマンションで一人暮らしを始めたばかりだった。「ドン!」という腹の底へ響く大きな音で飛び起きた。停電してテレビはつかず、車で合宿所へ向かったが「道は地割れして通行できなかった」と引き返した。阪急・西宮北口駅近くにある実家の両親とは夜にようやく連絡がつき、無事を確認。しかし家屋は半壊していた。

 「2日間は水だけで生活。19日になって近くのスーパーが開いたので、ツナ缶4個、果物の缶詰4個を買った。肉屋さんでは1キロを分けてもらってしのいだ。食べ物がないことが一番困りました」

 その経験から、11年の東日本大震災では被災地へカップ麺を何千個も送った。結局、地震発生の1週間後に福岡の知人宅へ身を寄せ、自主トレ再開。宮古島キャンプへは福岡から入った。両親と再会したのはキャンプ後の3月だった。

 「今も“ドン”という大きな音にはドキッとさせられます。トラウマになってしまって」

 02年のメジャー移籍後も、1月17日には神戸のある方角へ向かって黙とうしていた。その神戸の本拠地も2月に大阪・舞洲へ移転する。神戸での追悼イベントは今年が最後となる可能性もある。

 「神戸は1番大好きな街。寂しくなるけど、神戸への思いは変わらない。いつまでも神戸の街、神戸の人たちとつながっていたい。皆で前へ進みたい」。当時、ユニホームの袖につけていた“がんばろうKOBE”の思いは今も薄れていない。

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