元日 甲子園の祈りと誓い

[ 2017年1月8日 09:30 ]

日の出時刻直前、初東雲(はつしののめ)の甲子園球場(1日午前7時3分撮影)
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 【内田雅也の広角追球】甲子園球場で初日の出を拝むようになって4年目になる。今年も夜明け前に訪ねた。

 まだ薄暗く、正面玄関前は「阪神甲子園球場」の真白な照明に照らされていた。広場に1羽、白い羽に、ところどころ黒が交じったハトがいた。酉(とり)年の白と黒である。勝負をつかさどる鳥なのかもしれない。

 午前7時、関係者出入り口で警備員の男性と新年のあいさつを交わし、球場内に入った。エレベーターで4階の記者席に上がる。

 例年同様、静かだった。物音のない世界である。時折、海鳥が上空を横切る。整地されたグラウンドが美しい。厳かで清らかな淑気(しゅくき)が満ちていた。

 阪神園芸のグラウンドキーパーたちが立てたのだろう。マウンド上には注連(しめ)飾りがあった。「しめ」は占めるの意味だという。神が占有している場所を明らかにするための縄である。確かに、甲子園球場には女神や魔物が棲(す)んでいる。

 戦前は「東アルプス」と呼んだように、甲子園球場の朝日は三塁側アルプススタンドから昇る。7時14分、その東の空が赤みがかってきた。雲は切れている。空は美しく初茜(はつあかね)に染まった。

 そして、光が差した。御来光である。午前7時17分、甲子園に初日の出が顔を出した。黄金色の光が一塁側内野スタンドを照らし、輝いている。

 その神々しさに感慨深く、祈らずにはいられない。日本野球の聖地と言われる甲子園である。本拠地とする阪神タイガースはもちろん、春夏に熱闘が展開される高校野球、そしてすべての野球人の幸運と球運を祈った。

 風はないが、空気は冷たかった。球春は遠く、季節は七十二候の「雪下出麦」。「ゆきわたりてむぎいずる」と読む。寒い冬、厚い雪の下で春を待つ麦は、ひっそりと芽吹いている。

 年末12月30日、89歳で逝ったノートルダム清心学園(岡山市)理事長・渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)に<どうしても咲けない時もあります>とあった。<雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく美しいものとなるために>

 興南高校監督・我喜屋優さんは2010年のセンバツで初優勝した翌日、朝の散歩で部員たちに告げたそうだ。「これまでやってきた、小さなことの積み重ねを忘れてはいけない。今日から、次の花を咲かせるための根っこづくりをしていこう」

 著書『逆境を生き抜く力』(WAVE出版)にある。<どんなに美しい花も、いつか必ず散るときがくる。そして散った花は元には戻らない。けれども根っこをちゃんと育てていけば、きっとまた美しい花が咲く>。同年夏も優勝し、春夏連覇を達成した。

 人生には苦しく、辛いことも多い。そんな時も小さな努力を重ねていきたい。雨や嵐や日照りの日ばかりではない。こんなにも美しく、希望に満ちた光景に出会える。

 もう幾度も書いてきたが、野球は人生に似る。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』はおかげさまで11年目を迎える。元日の甲子園で誓いを新たにした。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社から野球担当一筋。2007年から大阪紙面でコラム『内田雅也の追球』を担当。

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