愛知学泉大・伊藤 中日ドラ1柳との再戦目指し“浪人”、その破天荒球歴とは

[ 2016年12月31日 16:30 ]

16年8月の練習試合で再会した愛知学泉大・伊藤(中央)と明大・柳(左)。右は横浜高・渡辺元智前監督の孫・佳明
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 ドラフトから約2カ月、愛知学泉大・伊藤弘夢外野手は12月20日にあった忘年会で明大・柳裕也投手と再会した。就職浪人してプロ入りを目指す伊藤にとって、中日ドラフト1位右腕の存在は何よりの刺激になっている。

 「柳から“プロでもう一度、対戦しよう”と言ってもらいました」

 08年、名古屋の野球少年だった伊藤は、横浜ベイスターズの鈴木尚典外野手(現DeNA球団職員)にサインをもらい、その時の対応に感激して大ファンになった。09年3月には横浜スタジアムへ引退試合を見に行き、自らが座った右翼席のすぐ近くに鈴木さんの本塁打が飛び込むという偶然を目の当たりにした。そこから破天荒な野球人生が始まった。

 自分は鈴木尚典さんになる―。

 周囲からの反対を押し切って鈴木さんの出身校である横浜高へ進学し、1年春からベンチ入りを果たした。しかし、最大の目標が「甲子園出場」ではなく「ベイスターズに入ること」という風変わりな高校生は周囲に受け入れられず、すぐに退部。自身と同じく地方の宮崎から出てきていた柳とは、一緒に練習することもなくなった。

 夢をあきらめかけた伊藤に手を差し伸べてくれたのが、他ならぬ野球部の渡辺元智監督だった。部の練習が終わった後、夜中に室内練習場での打撃練習につきあってくれた。周囲の説得もあり2年冬から部員として復帰すると、11月の練習試合では1年半近いブランクをものともせず11打数8安打。3年春の選抜で背番号13を与えられた。1回戦の高知戦では代打で適時二塁打。「エースとして頑張る柳のためにも1本打ちたかった」と当時を振り返る。

 再会は16年の夏。8月9日に明大のキャンプ地・長野県で行われた練習試合だった。5番右翼で出場した伊藤は先制二塁打を含む3安打3打点と奮起し、登板予定のなかった柳を一時的にブルペンへ向かわせた。結局、2人の対戦はなく、チームも控えメンバー主体の明大に4―13と大敗したが、ドラフトに向けて頑張ろうと決意を新たにしていた。

 しかし、現実は厳しく2球団競合で1位指名を受けた右腕と明暗を分けた。進路に社会人やクラブチーム、独立リーグ入りを勧める声もあったが、大学進学後に渡辺監督を通じてプレゼントされていた鈴木尚典さんのバットで素振りをして迷いが消えた。「やっぱりベイスターズに行きたい―」。社会人チームに所属すれば、プロ入り解禁は早くても2年後になる。そこで、名古屋市の「バッティングららら港店」でアルバイトをしながら、来年の入団テストを受験する道を選んだ。

 「周りから無理だと言われたことを、僕は実現してきました。ベイスターズ入りも必ず叶えて見せます」

 目標が難しいことは十分に承知している。それでも、多数のプロ野球選手を輩出してき横浜高が、夢を後押しするかのように縁を取り持ってくれていることに感謝する。柳との再会も、その一つだ。16年夏限りで勇退した渡辺監督が、ことあるごとに贈ってくれた直筆の色紙も心の支えになっている。一番、好きな言葉は「夢のない人生に運命はない」。先にプロ入りを叶えた柳に、ボールを投げてもらえる日を夢見て、伊藤はきょうもバットを振る。(石丸 泰士)

 ◆伊藤 弘夢(いとう・ひろむ)1994年(平6)10月24日生まれ、愛知県名古屋市出身の22歳。村雲小3年時に名古屋東リトルで野球を始め外野手。円上中では愛知西シニアでプレー。横浜高では1年春からベンチ入りし、3年春にセンバツ出場。愛知学泉大では1年からリーグ戦出場。遠投98メートル、50メートル走6秒4。1メートル75、88キロ。左投げ左打ち。

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