【決断】鈴木=盗塁のプロ人生 「神の足」の礎はケガに泣いた最初の5年間

[ 2016年12月22日 09:00 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=巨人・鈴木尚広外野手(38)

盗塁の印象が強い鈴木だが、08年には105試合に出場してゴールデングラブを獲得するなど、原巨人の主力として活躍した
Photo By スポニチ

 愛車のシートに体を預けると、鈴木は携帯電話を手にした。東京ドームの駐車場。「ちょっと今から帰るわ」。相手は福島県相馬市の実家の両親。10月10日。CSファーストSでDeNAに敗れた試合後だった。

 「ロッカーで1時間くらい悩んでいた。辞めるというのが9割。決めたけど、やっぱり“辞めていいのかな”という思いも存在していたし…」

 ハンドルを握り約300キロ、3時間超の車中。時間の流れが違った。「凄く長かった。どこかで気持ちが変わるかも、と気持ちが行ったり来たり。車は進んでいるけど、自分は進んでいない感じだった」。午後11時30分すぎに両親と対面。「最後は“いいかな”という一押しだったかな。親と会ったのはね」。決断の瞬間だった。

 盗塁成功率・829は歴代トップ(200盗塁以上)。228盗塁は球団歴代3位だ。代走で131盗塁もプロ野球記録。その「足のスペシャリスト」は盗塁は「やって当たり前だったから、あまり覚えていない」という。「(08年、西武との)日本シリーズとかホームランは鮮明に覚えている。斎藤隆さんや伊良部さんからも打った」と笑う。08年は105試合出場で打率・304、ゴールデングラブも獲得するなどレギュラー格で活躍もした。「そういうものを人の記憶から消すくらいのことをつくり上げられたのかな。僕にとって最大の強みだった」。誇り高い「鈴木=盗塁」のプロ人生だった。

 体格差などを痛感し、ケガが続いた最初の5年間が、現役生活20年の礎だった。1軍初出場は6年目の02年。「背番号68(06年まで)の僕を知っている人はもう少ない。最初の5年間で考え方を変えながらここまでやってこられた」。だからこそ、いずれ実現する指導者の道へスタートを切った。最近ではメンタル、コーチングなどの講習会にも参加。「引退してから休みがない」。準備を怠らないのは、東京ドームに常に一番乗りだった現役時代と同じだ。

 THE BLUE HEARTSの「TRAIN−TRAIN」が登場曲だった。「第二の人生、これから還元する立場。やることはたくさんある」。タカヒロらしく。走り続ける、どこまでも。 (春川 英樹)

 ◆鈴木 尚広(すずき・たかひろ)1978年(昭53)4月27日、福島県生まれの38歳。中学では陸上部に所属。相馬で野球を始め、96年ドラフト4位で巨人入り。初盗塁は02年4月14日の中日戦(東京ドーム)での二盗。15年に最遅タイの19年目で球宴初出場。今季は10盗塁で12年連続2桁盗塁を記録。背番号は07年から12。1メートル80、78キロ。右投げ両打ち。

続きを表示

2016年12月22日のニュース