【加藤初氏死去を悼む声】中畑氏「頼りがいのあるピッチャーだった」

[ 2016年12月21日 05:30 ]

加藤初氏死去

巨人時代、中畑氏(右)と加藤氏
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 【残念…球界“ショック”】

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長 寡黙で決して派手さはありませんでしたが、速い直球とフォークで常にいいピッチングをしていました。西本君や江川君をはじめ、当時の強力な巨人投手陣の中でよく頑張ったと思います。若くして亡くなられ、残念です。

 ▼張本勲氏(スポニチ本紙評論家)まだ若いのに、非常に残念だね。76年に彼が太平洋、私が日本ハムから同じ年に巨人に移籍した。無口でね。(口数の少なさは元中日監督の高木)守道さんと双璧だったんじゃないかな。

 ▼堀内恒夫氏(巨人元監督)75年のチーム初の最下位を受けて、戦力アップの期待をこめられて移籍してきたが、見た目のおとなしそうな印象とは違い、パワーピッチャーで常にマウンドでは攻撃的な投球を見せていた。長嶋巨人のV1は、彼と張本さんの加入によるところが大きかったと思う。グラウンド以外ではゴルフもうまかったし、マージャンもめっぽう強かった。面白い男だった。

 ▼柴田勲氏(巨人OB会長)長嶋さんの優勝の時に一緒にやった仲間。目立つことのない、おとなしい人だった。ご冥福をお祈りします。

 ▼中畑清氏(スポニチ本紙評論家)突然のことで、凄くショックです。初さんとは1976年の巨人入団が一緒。4月に亡くなった山本功児さんに続いて同期入団の先輩が1年のうちに2人も逝ってしまうなんて…。どんなピンチにも表情を変えなかった「鉄仮面」。3ボール2ストライクが多く「ミスター・フルハウス」とも呼ばれたけど、粘り強く投げた結果。1球たりとも気持ちの抜けたボールはなかった。勝負師の雰囲気を漂わせ、気迫あふれる投球。頼りがいのあるピッチャーだった。残念でならない。

 ▼槙原寛己氏(スポニチ本紙評論家)私が入団したときのベテラン選手。自宅でも食事をさせてもらうほど、可愛がってもらった。野球ではポーカーフェースで自分の考えていることを見せなかった。何をやっても上手で、とにかく勝負強い方だった。

 ▼西武渡辺久信シニアディレクター 西武のコーチの後は台湾や韓国に行かれて、アジアでも指導者として活躍された方。俺もそういう形でやっていたし、気持ちが分かる。ショックだよ。

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