何と80年前から…アスリートを支え続けたサポート態勢の進化

[ 2016年12月20日 10:40 ]

「伊藤超短波社」を訪問する岩隈
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 イメージアスリート契約を結ぶマリナーズ・岩隈久志の表敬訪問の取材に、練馬区の伊藤超短波社の事業本部にお邪魔した。超音波治療器の国内シェアでは9割以上ともいわれる大手だけに、社内には使用する大物アスリートの写真やサイン入り器具がずらり。アントニオ猪木に始まり、三浦知良、谷亮子、サッカー日本代表やナイジェリア代表など多士済々の面々にも圧倒されたが、最も驚かされたのがさび付いた1台の治療器だった。

 「自の魂」。「みずからのたましい」と読む。日本で初めて家庭向けに販売された超短波治療器なのだが、その販売年に驚いた。80年前の1936年(昭和11年)。第2次世界大戦よりはるか前の、日本プロ野球(NPB)が始まった年に同じく誕生し、物理療法が行われていたとは、想像もしていなかった。

 真空管を4本使用し、放射電極を患部に当てることで治療をうながす。本体には「スイッチを回すと電流が通じ電波が出る。1回の使用は30分以内。使用後は必ず30分間以上休息すること」との注意書きがある。「病人は心配する必要がない」と書かれた新聞広告によると値段は45円。公務員の初任給が75円だったというから、当時からかなり高価だったことが分かる。効能のほどは現在では計り知れないが、ぜんそくや中耳炎から、心臓病に腎臓病、水虫とタムシまで。幅広い期待を受けていたようだ。

 ネット上を検索してみると、まだ稼働する現物を所持しているコレクターも。ネットオークションで取引されていた跡も見られる。その後、超短波は低周波、超音波へと進化を遂げ、今ではアスリートにとってなくてはならない治療や予防の一つとなった。FIFAクラブW杯の決勝でレアル・マドリードにあと一歩のところまで迫ったJ1鹿島も、伊藤超短波社とオフィシャル・サプライヤー契約を結んでいる。

 「昔はケガをしたらどうやって治療していこうか、という考え方だった。今はケガをする前に、どう予防してこうか、というように選手も我々も考え方が変わってきた」と倉橋司代表取締役は話す。80年間試行錯誤を重ね、これほど信頼を得る医療システムを築き上げてきた。当時とはアスリートのパフォーマンスも段違い。その進化の裏で、サポート態勢も同じく力強い歩みを刻んでいる。(記者コラム・後藤 茂樹)

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2016年12月20日のニュース