【決断】巨人・矢貫、あえて家族呼ばずも…トライアウトが“最後の登板”に

[ 2016年12月8日 09:35 ]

巨人の矢貫
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 巨人から戦力外通告を受け、迎えた11月12日。矢貫は甲子園で行われた12球団合同トライアウトに参加した。現役を続けられる自信があった。「これが最後のマウンドではない」。あえて家族も呼ばなかった。打者3人に対し、被安打1。1メートル90の長身右腕は、最速146キロを計測するなど持ち前の速球をアピールした。携帯電話を握りしめ、連絡を待った。しかし、どの球団からもオファーはなく、ユニホームを脱ぐことを決意した。

 「正直言って、悔いしかない。でも、“体が元気なうちに次の仕事に臨みなさい”というメッセージだとも思っている。感謝しかない」

 日本ハムから移籍2年目。これまでにない手応えを感じていた。開幕は2軍で迎えたが、早朝からジャイアンツ球場で汗を流した。ネットスローでフォームを固める日々。2軍でバッテリーを一度組んだ阿部からは「スライダーが良いからもっと使え」と助言され、投球の幅も広がった。

 6月18日に今季初昇格。同日のロッテ戦(東京ドーム)で登板し、自己最速の151キロを計測した。しかし、いい状態は長く続かない。「状態が悪い時に抑えることができなかった」。7月頃から疲れが見え、2軍降格。8月にはオーバーワークが原因で背中を疲労骨折し、チャンスが再び訪れることはなかった。

 東日本大震災で被災した福島県西白河郡西郷(にしごう)村出身。高校は名門の仙台育英(宮城)に進学したが、公式戦で登板したことはなく「12番手くらいの控え投手」と振り返る。スタンドで太鼓を叩いて応援していた。そんな投手が常磐大、三菱ふそう川崎を経て、08年にドラフト3位で日本ハムに指名されてプロ入りした。5年目の13年には、当時新人だった大谷とともにオールスターに初出場した。第3戦では地元・福島で凱旋登板。生まれ育った西郷村の小中学生も招待し「一番の思い出だった」と懐かしそうに話した。

 決して器用な方ではない。愚直で真面目な男だ。「技術というよりも、人との出会いに恵まれた野球人生だった」。恭子夫人、2人の娘に囲まれ、今後は野球以外で第二の人生を歩む。 (柳原 直之)

 ◆矢貫 俊之(やぬき・としゆき)1983年(昭58)12月15日、福島県生まれの32歳。センバツ準優勝した仙台育英3年春はベンチ外。常磐大を経て、三菱ふそう川崎では08年に都市対抗に出場し、08年ドラフト3位で日本ハムに入団。15年途中に巨人にトレード移籍した。プロ通算8年で121試合に登板し、6勝8敗1セーブ、防御率3・76。1メートル90、95キロ。右投げ右打ち。

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