【決断】ロッテ・伊藤 夢は体育教師 きっかけはラグビー部監督とボビー

[ 2016年12月6日 11:00 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=ロッテ・伊藤義弘投手(34)

10年には65試合に登板するなどロッテリリーフ陣の一角を担った伊藤
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 プロ9年間の最後はあっけないものだった。伊藤がテスト参加した巨人の宮崎キャンプ最終日の11月18日。練習後に宿舎で帰京準備をしていると、部屋の内線が鳴った。

 「“不合格でお願いします”と言われた。シート打撃をさせてもらえなくて、3日間ブルペンだけだったので、不合格だろうなとは思っていた」。その場で引退を決意し、次の夢に目を向けた。それは体育教師だった。

 教師に憧れたのは2人の恩師の影響だ。1人は東福岡時代に3年間、体育の授業で指導を受けた現ラグビー部監督の藤田雄一郎氏。選手に考えさせる指導法で全国屈指の強豪に上り詰めたラグビー部を見て「今までの指導って高圧的に怒って、監督にびびって自分の力が出せない」と、伝統的な野球の指導法に疑問を持った。

 そして、08年のロッテ入団時に監督を務めたのがボビー・バレンタイン氏。「野球がめちゃくちゃ楽しかった。日本の指導者は失敗したら怒るけど、ボビーは絶対怒らないで“どうして失敗したんだ?”と話しかけてくれる。監督が一人一人とコミュニケーションを取ると、一つにまとまる」。教師として目指すべき姿だった。

 25歳でプロ入りしたときから「引退した後のことを考えていた」という。1年目から4年連続で50試合登板を達成したが、13年に右肘関節鏡視下手術を受けた。思うように回復せず「これでダメだったらクビだろうなと思って」昨オフに同じ手術を受けた。今年7月に実戦復帰したものの、思うような球速が出ない。それでも最後まで1軍を目指してもがいた。「(渡辺)俊介さんとか薮田さんとか(小野)晋吾さんは最後は2軍だったけど、しっかり練習していた。自分もベストを尽くそうと全力でやった」と胸を張る。練習後はジムや治療院に通って体のケアに努め「時間もお金もたくさん使った」。やりきったから、未練はない。

 来春から教員免許取得を目指して大学に通う。伊藤は「引退して思ったのが、やりたいことがあって良かったなってこと。生徒一人一人と会話できる教師になりたい」と言った。その表情は明るかった。 (渡辺 剛太)

 ◆伊藤 義弘(いとう・よしひろ)1982年(昭57)6月2日、福岡県生まれの34歳。東福岡で2年夏に甲子園出場。国学院大からJR東海に進み、07年都市対抗では王子製紙の補強選手として8強。07年大学生・社会人ドラフト4巡目でロッテ入り。10年の日本シリーズ胴上げ投手。1メートル77、78キロ。右投げ右打ち。

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