“未完の大器”一二三、新たな舞台でも生き続ける“師匠”の金言

[ 2016年11月29日 10:10 ]

<阪神2軍練習>BC福井との練習試合の1回裏2死一、三塁、一二三は左越えに3点本塁打を放つ(2016年05月17日)
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 「未完の大器」のままタテジマのユニホームを脱ぐことになった。11月12日、甲子園球場で行われたトライアウトに阪神から戦力外通告を受けた一二三の姿はなかった。来季は、今年3月下旬から3カ月間派遣されていたルートインBCリーグ・石川に入団し、再出発する決意を固めたからだ。

 甲子園準優勝投手として東海大相模から10年ドラフト2位で入団も、1年目の11年11月に野手に転向。次代の大砲候補として期待されながら、最後まで1軍出場はかなわなかった。プロ野球人生は、投手時代に発症した右肩痛との戦いだった。痛みを感じないリリースポイントを探してキャッチボールを行うなど、試行錯誤を続けていた。

 2軍での練習前には誰よりも早く球場に姿を見せて、入念に肩をストレッチするのが日課。ある日、偶然“リハビリ”を目撃してしまった記者に「他の人には内緒っすよ!これをやっとかないと痛いんで…」とバツの悪そうな表情を浮かべていたのを思い出す。

 甲子園のスターだった高校時代とは対称的に、苦難の連続だったプロ生活。つらい記憶がほとんどを占める中、本人が「宝物」と表現する劇的な出会いがあったことを、ここに記しておきたい。

 2年目のシーズン序盤だった。雨天のため、2軍の鳴尾浜球場でなく、甲子園の室内練習場で汗を流していると、折れたバットの山が目に入った。何気なく、1つ手に取ると、どうも感触が良い。ヒビの入ったバットには「山崎武司」の刻印。おそらく、当時中日の山崎氏が、遠征で甲子園を訪れた際に置いていったものだった。一二三は、すぐにメーカーに頼んで同じモデルを発注。当然ながら、この時点で一二三と山崎氏に面識は全くなかったという。

 それから間もなく、2軍の名古屋遠征で驚きの展開が待っていた。ナゴヤ球場で試合前の打撃練習を終えると、中日ベンチから急に「ちょっといいか?」といきなり呼び止められた。声の主は、あの山崎氏だった。

 「なんで山崎さんが?僕、何かしたんかなと…。悪いことして怒られると思いましたから」

 ある意味“覚悟”を決めて歩み寄ると、語気を強めて言われた。

 「一二三ってお前か?投手から野手に転向したんやろ?何をぬるいスイングをしてるんや」

 想定外の状況に驚きを隠せないでいると、意外な言葉が待っていた。

 「右足にギリギリまで体重を乗せて打てばいい。詰まるのはいい。前で打とうとして、引っかかるのは良くないから」

 通算403本塁打の山崎氏がなぜ、縁もゆかりもなかった若虎に声をかけ、助言を送ったのかは分からない。一二三が、バットを手に取ったのも偶然、声をかけられたのも偶然…。それとも、稀代のアーチストの直感が働いたのだろうか。

 不完全燃焼に終わったプロから、独立リーグに舞台を変えても、一二三の胸の中で“師匠”の金言は生き続ける。迷った時、壁にぶつかった時、きっと思い出すはずだ。(記者コラム・遠藤 礼)

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