卒寿を迎えた「野球人」の言葉受け、WBCで強敵となるキューバ

[ 2016年11月21日 09:10 ]

ハバナのラテンアメリカ球場ロビーの壁画。打席に立つフィデル・カストロ前国家評議会議長が描かれていた(2002年11月7日撮影)
Photo By スポニチ

 【内田雅也の広角追球】キューバの首都ハバナのラテンアメリカ球場の正面玄関を入ると、高い天井のロビーになっている。壁には1959年革命後のキューバ野球界の歴史を示す壁画が描かれている。

 2002年11月、インターコンチネンタルカップ(IC杯)世界大会の取材で訪れた。

 壁画は年代順に並んでいた。「赤い稲妻」と呼ばれ、無敵を誇った1980年代の懐かしい快速球右腕ビネンや大砲ムニョスの雄姿があった。

 冒頭に登場するのはむろんフィデル・カストロだ。緑色の軍服姿でバットを持ち、打席で構えに入ろうとしている。

 実際にあった光景である。先日、キューバ野球の情報サイトにこの時、捕手を務めたヘルマン・ミランダさん(83)の記事が出ていた。1962年1月14日、ラテンアメリカ球場でのキューバ国内リーグ開幕試合のセレモニーだった。革命後、それまでのプロリーグを廃し、アマチュアで今に続くセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル(SNB)で再出発した記念すべき試合だった。

 ミランダさんは「今も忘れない」と話した。「フィデルはバットを手にわれわれにあいさつをし、少し何ごとか話した。バットで投球を打ち、握手したんだ。こんな近くで最高指導者に会えるとは……と感激したよ」

 フィデルの野球好きは有名だ。ハバナ大のころは投手として米大リーグ選抜チームを完封したとか、セネタース(現ミネソタ・ツインズ)のテストを受け不合格だったとか、伝説が残っている。

 そんなフィデルも今年8月13日に90歳を迎えた。すでに国家評議会議長(元首)は弟ラウルに譲っている。CNNによると、今春4月19日、共産党大会最終日に姿を見せ「私も間もなく他のすべての人と同じようになる。私たちすべてにその順番が来る」と述べ、タブーとされていた話題に初めて自ら言及した。「これは私がこの部屋で行う最後に近い演説になるかもしれない」

 フィデルは来春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を楽しみにしていることだろう。3月7日の東京ドーム、キューバは初戦で日本と対戦する。世界一奪回を目指す日本にとっても大切な初戦である。

 日本が優勝した2006年の第1回WBC決勝を前にチームを激励したフィデルは「試合に“勝て”とは言っていない。“ベストを尽くせ”と言っている」と名言を残した。09年の第2回で再び日本に敗れると「悪いのはわれわれだ」と政府系投稿サイト「キューバ・ディベート」に書いた。「日本の練習は厳しく、体系的だ」と日本に学ぶ姿勢を訴えている。

 そのフェアプレーの精神と謙虚で内省的な姿勢は真の野球人らしい。

 キューバ代表メンバーはまだ発表されていない。一部では亡命し、大リーグでプレーする多くの選手たちも参戦するとも伝えられた。強打ホセ・アブレイユ(アブレウ=ホワイトソックス)や剛腕アロルディス・チャプマン(カブス)をはじめ亡命したスター選手が加われば、確かに脅威だが、それはないと地元メディアが報じている。

 だが、キューバは人材の宝庫だ。新たなスター候補が出てくる。たとえば、現在開催中の国内リーグ(SNB)で最多本塁打をマークしているルイス・ロベルト(シエゴ・デ・アビラ)は弱冠20歳の新星だ。昨年秋、甲子園などで開かれたU―18(18歳以下)ワールドカップで3番を打ち、大会オールスター(ベストナイン)にも選ばれている。WBCでも間違いなく打線の主軸を務めるだろう。

 シーズン中はロッテで活躍するアルフレド・デスパイネも帰国後、所属するグランマで快打を連発している。

 「野球人」で卒寿を迎えたフィデルの言葉を受け、キューバは必ずチームを立て直してくる。強敵だろう。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社以来、野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は10年目を終えた。昨年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。

続きを表示

2016年11月21日のニュース