ハム獲得断念…履正社・山口 社会人で腕磨く「今よりも高い評価で」

[ 2016年11月10日 06:20 ]

履正社の山口

 日本ハムからドラフト6位指名を受けた履正社の山口裕次郎投手(3年)が9日、同校の茨木グラウンド内の施設で大渕隆アマスカウトディレクター、芝草宇宙スカウトと初交渉に臨み、社会人野球のJR東日本へ進むことを伝えた。

 指名あいさつと次回交渉を申し入れた4日に続く2度目の接触でも意思は変わらず、大渕アマスカウトディレクターは「本人の意思は固く、これ以上の交渉は断念すべきと判断しました」と明かした。

 ドラフト前に調査書を提出した11球団に対して4位指名以下ならJR東日本へ進む意向を示していた山口は「社会人で腕を磨き、3年間頑張って今の評価よりも高い評価で指名されるように頑張りたい」と前を向いた。同校の岡田龍生監督に加え、今回は山口の父・一郎さんも出席。「指名されて感謝と光栄」と話した上で「裕次郎の人生。自分の人生は自分で決める。これは私の教育の信念。意思を尊重したい」と話した。

 22日と25日にJR東日本の入社試験を受ける予定で「変化球を増やし、直球のキレとスピード、体の使い方すべてを学びたい」と意気込んだ。

 ▼日本ハム・吉村浩GM(交渉打ち切りは)本人の意思を尊重した。選手個人の選択ですから、尊重します。

 ≪菅野以来5年ぶり≫ドラフト会議(育成を除く)で指名を受けながら入団を拒否したのは11年日本ハム1位の菅野智之(東海大・投)以来5年ぶり。過去には江川卓(作新学院、法大)が73年阪急、78年クラウンから1位指名されながらいずれも拒否。80年代までは1位指名の入団拒否だけで21人もいた。90年以降は90年小池秀郎(亜大・投)、95年福留孝介(PL学園・内)、98年新垣渚(沖縄水産・投)、00年内海哲也(敦賀気比・投)、前記の菅野と5人まで減少。最近1位以外の指名では長野久義(日大、Honda・外)が06年日本ハム4巡目、08年ロッテ2巡目と2度入団拒否を経て09年に巨人1位でプロ入りしている。

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