西武・辻新監督が歩む広岡氏の道 自ら手本「守備は今でも誰にも負けない」

[ 2016年11月10日 10:20 ]

西武・辻監督は早出特守でも自ら球出しをして熱血指導                             

 3年連続Bクラスに沈んだ西武は、来季からOBの辻発彦新監督(58)に再建を託す。現役時代は二塁手として史上最多となる8度のゴールデングラブ賞を受賞。西武の黄金時代を支えた名手は、宮崎・南郷での秋季キャンプで精力的な指導を行っている。キャンプ休日となったこの日、古巣の立て直しに向けたビジョンや指導哲学などを語った。 (構成・重光 晋太郎)

 青天のへきれき。古巣の西武に監督という立場で復帰するとは、夢にも思わなかった。

 辻監督 驚いたけど、うれしかったね。プロの1軍監督はそう簡単になれるものじゃない。最近は監督がどんどん若くなっているのに、58歳だから。これが、最初で最後と思っている。

 かつての常勝軍団も低迷が続き、課題は山積している。浅村、中村、メヒアらが並ぶ強力打線が最大の特長。黄金時代も秋山、清原、デストラーデの長距離砲を擁しながら、石毛、辻、田辺ら「つなぎ役」とのバランスが絶妙だった。

 辻監督 大砲ばかりでは勝てない。そこにどうやってつなぎの選手をかみ合わせていくか。それができなければ優勝は難しい。1点が必要な場面では、状況によっては全員に送りバントをさせることもある。

 中村や栗山といった主力は30代が多く、「世代交代」が新監督に託されたテーマでもある。

 辻監督 中村もケガがあるし、栗山だって年齢的な衰えが出てくる。1年間戦ってもらうために、主力を2打席で代えることだってある。試合後半で守備固めで若い選手を使うこともあるだろう。そのときに結果を出すことで控えの選手はチャンスをつかんでもらいたい。勝つためにタブーはつくらない。

 森の起用法にも注目が集まる。

 辻監督 どう使うかは僕の腹ひとつ。現時点で決まっているのは「捕手でやっていく」ということ。ズルズルいくと森はいつまでたっても、レギュラー捕手に育たないよ。炭谷がかなわないなと思うぐらい打てば、守備に目をつぶっても使うだろうし。10年先を考えたときに、それは必要なことだと思う。

 秋季キャンプでは内野手を中心に指導。常にグラブかノックバットを手に早出特守から居残り特打まで付きっきりで教え、自ら手本を見せる時もある。指導者の原点はプロ入り時の監督だった広岡達朗氏だった。

 辻監督 新人時代に広岡監督が目の前でゴロをさばいて見せてくれた時、目からうろこが落ちた。「凄いな」ってね。だから、俺も実際にやってみせる。その方が選手も分かってくれるだろうし、うれしいんじゃないかな。積極的に動くことで選手たちと気持ちを共有したい。「監督も一緒に戦っている」と感じてほしい。黙って見てられない性格というかね。特に、守備については今でも誰にも負けない自信がある。

 広岡氏と同じように、辻監督も自己管理に厳しい。早出練習前に食事をしていた山川にはカミナリを落とした。

 辻監督 朝8時にホテルで食事をしてたんだよ。早出は9時にアップ開始。腹いっぱいでは野球はできない。コーラばっかり飲んでるし。プロなんだから、そういう細かい自己管理ができないと。

 87年の巨人との日本シリーズで相手の隙を突き、単打で一塁から生還した「伝説の走塁」は今でも野球ファンの脳裏に焼き付いている。

 辻監督 当時の西武は“何とかしてやろう”という気持ちを持った選手が多かった。安打を打てなくても、どうにかして1点をもぎとろうと必死だった。そういう意識が必要なんですよ。

 黄金時代を知っているからこそ、復権への思いは誰よりも強い。

 ◆辻 発彦(つじ・はつひこ)1958年(昭33)10月24日、佐賀県生まれの58歳。佐賀東から日本通運を経て、83年ドラフト2位で西武に入団。96年にはヤクルトに移籍し、99年に現役引退。通算1562試合出場で打率・282、56本塁打、510打点、242盗塁。93年に首位打者。二塁手としてのゴールデングラブ賞8回受賞は歴代最多。引退後はヤクルト、横浜、中日でコーチを歴任。1メートル82、81キロ。右投げ右打ち。

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