「理不尽」にも意味がある

[ 2016年11月10日 08:45 ]

右翼後方で太平洋が輝く安芸市営球場。この光景は昔も今も変わらない

 【内田雅也の広角追球】阪神が秋季キャンプを張る高知・安芸市営球場を訪れた。サブグラウンド脇に建つ小屋には長年チームの世話をするおばちゃんがいる。右翼後方でキラキラ輝く太平洋と同様に、もう何年も変わらぬ光景だ。

 山を切り開き、球場が造成された1964年(昭和39)、作業を手伝った。以来52年にわたり、裏方として阪神に携わってきた。今年、80歳になった。

 「あっという間やったねえ。知らん間に歳をとる」と笑った。「練習も変わったわね。今は朝9時から夕方6時まで練習しているもの。昔は3時過ぎたら、みんな帰っていったのにねえ」

 おばちゃんの言う昔とは昭和40年代だ。設備が整わず、2軍は安芸市内を流れる伊尾木川の河川敷で練習をしていた。

 確かに練習時間は長くなった。室内練習場にドームもできて、日が暮れても練習ができる。

 小屋の隣の部屋にはヘッドコーチ・高代延博がいた。「選手たちは体がバリバリに張っている。打者の手のひらはボロボロよ」。例年午前10時だった練習開始を監督・金本知憲の指示で9時15分に早めた。朝一番の特打と筋力トレーニングについて「あれは相当きついっすよ」と外野守備走塁コーチの中村豊も言った。「それに期間が長い。秋季練習を含めて、こんなに長くハードな練習をしたのは現役時代を含めても記憶にない」。

 今季4位でクライマックスシリーズ(CS)出場を逃した阪神は、10月9日から甲子園と鳴尾浜で練習、29日から安芸でキャンプを行っている。打者には「1日1000スイング」のノルマが課されている。「1000本ノック」ではないが特守もある。理屈抜きの根性練習である。

 「それも絶対必要だと思うよ」と高代は言う。「何も考えずに打ち、守る。内野ノックなら、へばって動かなくなってくると、体の力が抜け、自然と理想の形で捕球・送球ができるようになる。コツというのかなあ。それが体で覚えることなんだと思うね」

 金本も現役時代に出した著書『覚悟のすすめ』(角川新書)で<やらされる練習にも意味がある>と書いた。高代は金本が広島で若手のころ、コーチだった。金本が引退会見で「三村さん(敏之監督)、山本一義さん、高代さんの3人に感謝したい」と語っている。高代は「(金本)監督は自分が練習に次ぐ練習で成功した。その記憶があるからね」と懐かしんだ。

 「理不尽な話がいい思い出になる」と先月20日に他界した「ミスター・ラグビー」平尾誠二が語っている。今年4月5日の異業種交流組織「毎日21世紀フォーラム」での講演だった。同月25日の毎日新聞夕刊に掲載されていた。生前最後の公の場だったろう。

 伏見工時代、監督・山口良治から顔を縫っていた糸をはさみで切られ、試合に強行出場した逸話を持ち出していた。「大変理不尽な話ですが、今やいい思い出話です。最近、こういう話は人生の宝だと思うようになりました。こういう話をたくさん持っている方が人生は豊かなんだ」

 つまり、理不尽の壁を越えろ、というわけである。「人を鍛える時は、ほめたり、おだてたり、できたことを認めてやることも大事です。ただ、何か一つの壁を作り、それを乗り越えた時に一緒に喜ぶということも成長にとって必要なことだと思います」

 ともに喜べる日を思い、練習は続く。コーチは理不尽にも意味を見いだしていた。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや)1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球記者」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社から野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は10年が過ぎた。昨年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。

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