阪神・西岡“男気”「チームが強くなるためなら」糸井に背番号7譲る

[ 2016年11月9日 05:30 ]

阪神の西岡

 これぞ男気!国内フリーエージェント(FA)権の行使を表明したオリックス・糸井嘉男外野手(35)の獲得を目指す阪神は8日、西岡剛内野手(32)が背番号「7」を譲渡する考えを明かした。ロッテ、阪神の通算12年間で背負う愛着ある番号だが、オリックスで「7」をつけていた糸井が希望した場合には一肌脱ぐ考え。9日はFA有資格者の申請提出期限日。バックアップ態勢も整い、阪神は交渉解禁となる11日に即日アタックする方針だ。

 「虎の恋人」獲得へ、西岡が男気をみせた。前日にオリックスの糸井がFA権行使に必要な書類を提出。その際「背番号と同じ7日なので、今日にしました」と、「7」へのこだわりを吐露していたが、この日、虎の背番号「7」を背負う西岡がその胸中を明かした。

 「僕も7番にはこだわっている。ただ、チームが勝つためなら、強くなるためなら譲ってもいい。勝つことが全てだから」

 西岡はロッテ入団1年目から「7」を着用。日本代表入りした06年WBC、08年北京五輪でも「7」を背負い、メジャーを経て阪神に移籍した13年には俊介から「7」を譲り受けた。一方の糸井も、入団8年目の11年(当時は日本ハム)から今季まで6年間、着用してきた。西岡の「7」に対する愛着は変わらないが、「チームのためなら」との猛虎愛がそれを上回った。

 「仮に球団が糸井さんの獲得に乗り出し、もし7番を希望するなら渡したい。僕が阪神に移籍した時も、全て気分よく入団させていただいた。だから、もし糸井さんが入団してくれるなら、全ての環境がパーフェクトに整う方がいいと思う」

 西岡は自身が置かれた立場も十分に理解している。14年3月30日の巨人戦(東京ドーム)では福留と激突した影響で打撲、骨折、脱臼などで長期入院の重傷を負った。今季は7月20日の巨人戦(甲子園)で左アキレス腱を断裂。現在も復帰のメドは立っていない。

 「この世界は結果が全てだから…」と、何度も大ケガを負いながらも懸命に前を向く。アキレス腱を断裂した際、一時は現役引退を決意した。それでも再起を決意したのは、この手で金本監督を胴上げしたいから。糸井が加入すればチームは強くなる――。優勝の2文字が、地道にリハビリ生活を続けている西岡を奮い立たせている。

 いまだ球団は糸井獲得に関しては沈黙を貫くが、交渉解禁日となる11日にも初交渉に臨む構え。西岡は球団から背番号の変更を打診された場合には応じる覚悟で、指揮官も同席するテーブルで、糸井に背番号「7」を提示することは確実だ。万全の準備は整った。孤独な戦いを続ける西岡の熱い思いも受け止め、猛虎がV奪回へのキーマンに全力でアタックする。

 ≪FAでの主な背番号譲渡≫

 ★巨人・長嶋監督 99年オフに広島からFA宣言した江藤獲得に向け、広島で背負っていた背番号33の譲渡を提案。自身は永久欠番となっていた背番号3に変更することを表明し、阪神、横浜(現DeNA)との争いを制した。

 ★巨人・小坂 06年オフに小笠原が日本ハムからFAで巨人入り。小笠原は日本ハム時代に背番号2を着用していたため、ロッテから移籍1年目の同年に2をつけた小坂が1年で譲り渡し、背番号6に変更した。

 ★ヤンキース・ジョーンズ 12年にドジャースからFAとなった黒田を獲得したヤンキースは、通算420本塁打のジョーンズ(元楽天)に背番号18の譲渡を打診。ジョーンズは快諾して22番に変更し、黒田はド軍時代と同じ18番に決まった。

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