思い出に変わる前に フロントマンは今こそ大切な時

[ 2016年11月6日 09:00 ]

 【内田雅也の追球】安芸には思い出が詰まっている。何しろ阪神担当となった1988年(昭和63)1月から28年、毎年訪れている。

 行きつけだった店のママはすでに還暦を迎え、3歳だった長女は三十路(みそじ)を迎えた。誕生を祝った次女はつい先週、赤ちゃんを産んだ。ママはおばあちゃんになった。そんな年月が流れた。

 「そりゃあ、歳もとるはずや」と、安芸入りした球団顧問の南信男さんが笑っていた。秋季キャンプインの10月29日以来の再訪である。

 「あのキラキラ光っている海は変わらんけどね。相当な年月がたっているんだよな」。連日の好天。青空と青い海の境目が分からなくなる。右翼後方、土佐湾で太平洋が輝いていた。安芸市営球場のバックネット裏、本部席で雑談となった。

 球場のプレハブ小屋で報道陣にうどんやお茶の世話をしてくれていた「ひとみちゃん」、犬を連れてスタンドに現れる貝採り漁師の「犬じい」……何とも懐かしい。

 <記憶は不意に甦(よみがえ)る>と山際淳司も書いている=『アメリカ・スポーツ地図』(角川文庫)=。球場を歩いていると、左翼後方の道路で頭上に網が張り巡らされていた。「ディアー・ネット」である。1994年2月、新外国人として来日した大リーグ通算246本塁打(当時)のロブ・ディアーはキャンプ中、場外弾を連発。危険だということで急きょネットを増設した。当時球団社長の三好一彦さんもこの命名を気に入っていた。

 だが「三振かホームランか」の大砲も日本では「大型扇風機」で終わった。補強は失敗だった。

 「難しい。本当に難しい」。87年に電鉄本社から球団に出向、以来フロントマンとして第一線にいた南さんが言う。「補強、育成のバランスが大切なんだろうけどね。結局、正解は分からなかった」。金本新監督招へいに力を尽くし、昨年限りで球団社長を退いた。10年間務めた社長時代、ついに優勝の美酒は味わえなかった。

 雑談の最中、球団社長の四藤慶一郎さんがやってきた。グラウンドでの練習を目で追いながら、頭の中はFAや新外国人などの補強、チーム編成でいっぱいなのだろう。

 美しい海は変わらないが「ひとみちゃん」も「犬じい」も今はいない。過ぎ去る時間は早い。フロントマンは明日をみている。思い出に変わる前、今こそ大切な時なのだろう。 (スポニチ編集委員)

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