金本監督の耳に響く恩師の激励 目指すは厳しく優しく

[ 2016年11月4日 10:40 ]

バットを構えスイングする金本監督

 【内田雅也の追球】阪神監督・金本知憲はいつものように、安芸市営球場のグラウンドに立ち、秋季キャンプの指導を続けていた。時折見上げる美しい秋空に、決意を新たにしていたのかもしれない。この日は特別な日だった。

 金本が「恩師」と敬愛した元広島監督、三村敏之の命日だった。2009年11月3日、肝臓疾患で入院していた仙台市内の病院で逝った。死因は心不全。61歳だった。

 当時、阪神で現役だった金本は告別式で弔辞を読んだ。嗚咽(おえつ)が混じった6分45秒だった。

 1992年、広島入団時の2軍監督、1軍定着時の監督。7年間、指導を受けた。「ずっと監督はミムさんでした。いつも強く当たり、突き放して、ボロカスに痛めつけられて、悲しくて涙したこともあります」

 金本は「いつか褒められたい」と歯を食いしばった。三村は監督を退く際、金本に優しい言葉をかけたそうだ。「おまえ、ようついてきたな。いろいろ悪かったな。でも、おまえにはこのやり方が一番伸びると思うとった。許してくれ」。涙は号泣に変わった。

 三村は金本の反骨心、そして信念の強さを見越していた。著書『「超二流」のススメ。』(アスリート社)で<彼は実に気持ちの面で強い選手でした>とたたえている。<自分がやろうとしたこと、やらなければいけないことを、たとえ寝る間を削ってでも、とことんやり続けられる資質を持っていた。そんな強さを、われわれに感じさせてくれる若者だった>。

 いま、金本も当時の三村と同じ監督の立場となった。思い描くのは三村のように、厳しく、優しい監督像ではないか。

 ただ、三村も広島監督5年間は苦しい日々だった。96年は夏場まで首位を独走、最大11・5ゲーム差をつけながら巨人に逆転を許す「メークドラマ」の引き立て役に回るなど、優勝を果たせなかった。

 「超変革」を掲げて船出した金本も世代交代の狭間(はざま)で苦しんでいる。苦悩の時には三村の顔が浮かぶだろう。

 弔辞で語った言葉がある。「また僕が甘ったれたりしていたら“何しよんや”“何たるんどるんや”“代わりはいくらでもおるんや”と?ってください」

 その叱咤(しった)激励は、恐らく今も耳に響いている。=敬称略=(スポニチ編集委員)

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