元阪神ドラ1藤田太陽氏 第2の人生は“三刀流”「いつかはプロ野球界に」

[ 2016年10月20日 11:15 ]

中学生を指導する元阪神の藤田太陽氏
Photo By スポニチ

 スーツ姿で満員電車に揺られる生活にも、すっかり慣れた。2013年の現役引退から3年。平均睡眠時間は3~4時間だと言うが、元阪神・藤田太陽氏は充実の日々を過ごしている。

 「ギュウギュウ詰めの満員電車にも慣れました。金曜から日曜にかけては富山へ行ってます」

 1週間のタイムスケジュールを確認すると、多忙ぶりが伝わってくる。月、水は野球塾の講師を務め、レッスンプランの作成に時間を費やす。火、木は主に健康食品、レストラン事業を手がけるCIFA株式会社の社員として営業、イベント開催などに知恵を巡らせる。そして、金~日の3日間は都内から富山へ足を伸ばし、社会人クラブチーム・ロキテクノベースボールクラブの投手兼任コーチとして選手を指導する。トレーニングの成果もあり37歳の今でも球速は140キロを超え、理論注入だけでなく実技でも手本を示す。

 CIFAの社業にまい進するが、今でも生活の中心には野球がある。秋田・新屋高から川崎製鉄千葉を経て、2000年ドラフトで阪神を逆指名して1位入団。大型右腕として期待されたが、3年目に右肘の靱帯移植手術を受けるなど度重なるケガに泣かされた。09年シーズン途中には西武へ移籍。翌10年にはセットアッパーとして48試合に登板するなど、チームに貢献した。13年にはヤクルトでリリーフとして20試合に登板したが戦力外通告を受けた。慢性的な右肘の痛みもあって、この年限りでユニホームを脱いだ。

 現役時代同様に、セカンドキャリアを築くまでの道のりは決して平坦ではなかった。プロ野球の世界から身を引いた途端、目の前から姿を消した人もいた。華やかな世界からの転身…。時には人間不信に陥ることもあった。

 「プロを引退してみると、自分にはプレー以外で何の価値もない…と思えることもありました。いろんな人が離れていったし、正直、腐りかけたこともありました」

 阪神在籍時から10年以上の付き合いになる。誠実な人柄は、昔も今も変わらない。だからだろう。藤田氏の人生の節目、節目で、必ず力になってくれる人がいた。13年の現役引退後は知人の紹介で都内の焼き肉店へ。寝る間も惜しみ、約1年間、アルバイトを続けた。当時の目的は「1年間修行して、スポーツバーを開店する」というもの。だが、1年間のアルバイト生活を終える頃には、将来に対して違ったビジョンを描くようになっていた。

 「もっともっといろんなことにチャレンジしたくなりました。いろんなことに興味がある人間ですし…。スポーツバーを開店する夢は今でもありますが、体が動くうちは野球を通じて、これまでの経験を還元したいと考えるようになってきました」

 そのころ、これまた知人の紹介で現在勤務しているCIFAの一員になることが決まった。従来は音楽業界でのビジネスを手がけていた経営者が独立。ドライフルーツ、ココナッツオイルなどを販売する健康食品事業に参入するだけでなく、スポーツ関連コンサルティングも手がけることになった。その新規立ち上げメンバーの一人として、藤田氏も加わった。営業だけでなく、デスクワークも行うためパソコンを猛勉強。生真面目で、好奇心旺盛な性格もあり、新たにメンタルトレーニングの勉強に励むとともに「アスリートフードマイスター」という資格習得を目指す。

 11月9日には同社が手がけるアスリートマネージメントの一環として「スポーツ起業家発掘養成講座 事前説明会」(http://www.kamakurun.jp/sports-business)が開催され、ゲストスピーカーとして登壇する。

 「整骨院であったり、ヨガのスタジオであったり、スポーツに携わるビジネスの方で集客に困っている人は多い。スポーツを好きな人がスポーツを通じたビジネスを成り立てるようにしていきたい。セカンドキャリアも含めて、みんなでディスカッションするのも目的の一つです。そういう活動も僕にとっては貴重な経験になりますから」

 最後に、今後の夢を尋ねてみた。

 「いつかはプロ野球界に戻って、3軍のコーチをしたいという夢もある。そのために今、勉強しているつもりです。小、中学生、社会人の選手を指導させてもらっていますが、すごく良い勉強をさせてもらっています。そういう意味で、今の生活は充実しているし(クラブの)ユニホームを着させてもらって本当に幸せです」。(報道部デスク・森田 尚忠)

続きを表示

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

2016年10月20日のニュース