思い出す横浜ベイスターズ1年目…三浦、進藤、石井 それぞれの今

[ 2016年10月18日 11:00 ]

今季限りで引退したDeNA三浦
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 レギュラーシーズン終了後、今季限りでの引退を決めたDeNA・三浦大輔に会った。92年に横浜に入団し、25年目。記者も同じ92年にスポニチに入社した。「四半世紀だなあ…。早いなあ」。そんな話になった。

 記者は翌93年に横浜担当になった。大洋ホエールズから名称の変わった初年度。指揮官は近藤昭仁監督だった。ローズ、ブラッグスに大魔神・佐々木主浩がいて…。ドラフト1位は慶大出身の右腕・小桧山雅仁。そこには2年目の三浦、そして進藤達哉、石井琢朗もいた。3人は今年のセ・リーグCSファイナルSで、それぞれのチームのコーチとして戦った。

 DeNAの進藤ヘッドコーチは当時から寡黙なタイプだった。記者とは同学年。黙々と、コツコツと。若くして職人肌の雰囲気を漂わせる選手だった。93年は初めて規定打席に到達したシーズン。のちに3年連続でゴールデングラブ賞に輝いた。「よう」「進ちゃん…。いやいや進藤コーチ、最近どう?」。球場で会えば、いつもそんな会話からスタートする。今季もベンチでは静かなたたずまいながら、ラミレス監督を支える要職をこなした。

 その進藤コーチと三遊間を組んでいた広島の石井打撃コーチも93年、初めて規定打席に到達。同時に24盗塁でタイトルを獲得した。肺炎で入院していたが、病院の許可を取って球場に直行。10月22日の広島とのシーズン最終戦(横浜、ダブルヘッダー2試合目)に代走で出場し、2盗塁を決めた。当時の紙面を見たら記者の署名が入っていた。同じ栃木県出身で、年齢はこちらが一つ上。失礼ながら、今でも会うと「琢ちゃん」と呼んでしまう。

 93年。2人にとってはプロ野球人生のターニングポイントとなった年だろう。その年の9月4日、三浦も広島戦(北九州)でプロ初勝利を挙げた。偶然だが記者の24歳の誕生日だった。こちらも当時のスポニチ紙面を見た。「緊張しなかった。緊張するのは女の子と話す時ぐらい」とのコメントとともに、「ベイスター誕生!」の見出しが躍っていた。今振り返っても、素敵な瞬間にたくさん立ち会えた、いいシーズンに担当記者をさせてもらったと思う。

 三浦は現役を引退する。投手兼任コーチはどうするのか?と聞くと「ちょっとはゆっくりさせてよ!」と笑いながら返された。本当にお疲れ様。進藤コーチも、1年間お疲れ様。そして石井コーチ。日本シリーズ、最高の戦いを期待しています。 (記者コラム・鈴木 勝巳)

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2016年10月18日のニュース