ソフトB松坂 散々5失点…視線は来季へ「一からつくり上げる」

[ 2016年10月3日 05:30 ]

パ・リーグ ( 2016年10月2日    コボスタ宮城 )

<楽・ソ>8回無死一、二塁、松坂が松井稼に死球を与える

 かつての怪物の姿はなかった。ソフトバンクの松坂大輔投手(36)は2日、シーズン最終戦となった楽天戦の8回に日本復帰後初登板。06年10月7日のプレーオフ第1ステージ第1戦以来、10年ぶりの1軍マウンドだったが、1回を3安打4四死球の大乱調で5失点と崩れた。昨年8月の右肩手術からの復活を目指したが、待っていたのはあまりに厳しい現実。クライマックスシリーズ(CS)の秘密兵器となることはできず、3年契約の最終年となる来季へ気持ちを切り替えた。

 無残だった。3648日ぶりの日本球界復帰戦は0―2の8回。敵地コボスタ宮城で松坂は万雷の拍手を受けてマウンドに上がったが、4連続四死球を与えるなど1回5失点。「自分の望んだ結果ではなかったけど、良くも悪くも投げることができたのはよかった」と振り返ったが、西日に照らされ、ベンチへ下がる背番号18の姿は斜陽を思わせるほど切なかった。

 日米通算164勝を挙げ、数々の修羅場を踏んできたが「緊張はもちろんありました」。投球練習からストライクはゼロ。マウンドが合わない様子で右足で土を何度も掘った。先頭の嶋に四球、島内には初球死球を与えた。楽天・梨田監督の粋な演出で西武時代の同僚・松井稼が代打で登場したが、またしても初球のカットボールが引っかかり死球。無死満塁からペゲーロに押し出し四球と、相手が一球もバットを振ることなく失点した。

 捕逸などでさらに2点を失うと、ストライク欲しさに甘くなった球を茂木、アマダー、銀次に3連打された。39球中24球がボールで、最速は144キロ。最後は2者連続三振でしのいだが「消化するには時間がいる」と言うほどの大乱調だった。

 昨年8月の右肩手術から復活を目指した今季は、一進一退。右手違和感、腰痛など調整が進まず、1軍昇格が見えつつあった9月10日のウエスタン・リーグ・オリックス戦(タマスタ筑後)では右尻の張りで途中降板した。ただ、諦めなかった。36回目の誕生日だった9月13日、太宰府天満宮本殿の北側にある福岡有数のパワースポット「天開稲荷社」で神にすがった。同22日3軍戦(Honda熊本)で復帰すると中2日で25日阪神戦(筑後)に臨み、急ピッチで仕上げた。コーチからは昇格に慎重な意見もあったが、工藤監督は最終戦でチャンスを与えた。

 しかし…。試合後、指揮官は「ここ(1軍)で松坂大輔を見たいと思ったが、プロの世界は結果。出なければファームに行くしかない」と明言。CSの秘密兵器とも考えていたが、日本復帰2年目は1試合で終了した。松坂を監督室に呼び「俺もぼこぼこに打たれ、2軍へ行ったことはある。くじけず前を向いてやることが大事」と諭した。

 「監督の言葉で前を向くことができた。来年に向けて筑後で一からしっかりつくり上げるしかない」と松坂。平成の怪物と呼ばれた男は険しくつらい道のりへ目をやった。 (福浦 健太郎)

 ▼ソフトバンク・佐藤投手コーチ どうして(球が)指に引っかかるのか分からないから、マウンドにアドバイスに行けなかった。

 ▼楽天・茂木(右前適時打)3ボールになってストライクを取りに来る球で、打ちやすい高さ、コースだった。テレビや球場で見ていた投手。対戦は不思議な感じでした。

 ▼楽天・銀次(中前適時打)怪物と言われた投手からヒットを打ち、思い出に残りました。プロで対戦できると思っていなかったので、ずっとこれから心に残る打席になった。

 ▼楽天・梨田監督 2者連続三振と、そういった球もある。よそのチームの選手だが、契約も残っている。頑張ってほしい。

 ≪松坂復帰の経過≫

 ▼14年12月5日 メジャーから日本球界に復帰し、福岡市内のホテルで入団会見を開く。

 ▼15年2月1日 キャンプ初日に報道陣をシャットアウトしてブルペン入り。

 ▼3月4日 阪神とのオープン戦で9年ぶりの日本復帰登板。先発で3回4安打無失点。

 ▼8月18日 右肩を手術。移籍1年目は1軍登板なしに終わる。

 ▼16年3月3日 2軍練習試合、韓国斗山戦に先発。288日ぶりの実戦登板は2回無安打無失点。

 ▼5月14日 2軍広島戦に先発。右手違和感もあり1回2/3を7安打9失点で降板。

 ▼9月10日 2軍オリックス戦に先発し、3回無失点も右臀(でん)部の張りを訴えて降板する。

 ▼同30日 工藤監督が「仙台に連れて行く」と最終戦で中継ぎ起用を明言。

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