戦力外通告受けた須永 日本ハム「逃げない」ドラフト戦略の出発点

[ 2016年10月2日 11:05 ]

1日に戦力外通告を受けた日本ハム・須永

 日本ハムがリーグ優勝を決めた9月28日、1安打完封勝利を挙げ、4年ぶり頂点の原動力となった大谷。わずか3日後の10月1日、戦力外を通告された13年目の左腕・須永。2人の間に、ある共通項を感じるのは、私だけではないはずだ。日本ハムの「逃げない」ドラフト戦略の出発点は、03年の須永指名だった。

 後楽園、東京ドームを本拠地として巨人に「間借り」してきた日本ハムは02年に、04年からの北海道移転を決定。移転を機に、スカウティングと育成をチーム強化の柱とする方針を固めた。それ以前は球団の人気低迷によりアマ球界のトップ選手に入団を拒否されるリスクを恐れ、競合を避けることが度々あった。

 14年末にGMを退任するまでスカウト、編成部門の責任者を長年務めた山田正雄アマスカウト顧問は「あの時くらいから会社全体として考えが一致した」と回想する。リスクを覚悟で、高く評価した選手を獲りにいくという考えだ。03年は、巨人入りを熱望していた浦和学院の須永をドラフト2巡目(自由獲得枠を行使したため1巡目はなし)で指名。粘り強い交渉の末、入団にこぎつけた。12年ドラフトでの大谷の成功例は、ここで書くまでもないだろう。

 須永はプロ13年間で通算30試合で0勝3敗、防御率7・71。しかし、能力の高さを随所で見せていた。1年目の04年はイースタン・リーグで10勝を挙げ最多勝。05年は9月27日ロッテ戦で9回を無失点に抑えながら援護がなく、06年4月4日ソフトバンク戦でも6回1失点と好投したが、救援陣が打たれて白星が消えた。10年オフに巨人に移籍し、昨年6月に古巣へ復帰。日本ハム側に「前の年に2軍でいい球を投げていた」と情報が入っていた通り、14年は救援で40試合に登板して5勝0敗、防御率2・32の好成績を残していた。しかし、ついに1軍の白星には恵まれなかった。

 戦力外通告を受けると同時に、球団スタッフとしてのポストを打診された須永は回答を保留した。「まだ、やり切っていないという気持ちがある。引っかかっているというか、悔いが残っているところがある」。今季もキャンプ序盤や好調時に首を痛めるなど、予期せぬ形でつまずいた。1勝でも挙げていたらその後の風向きが変わったのでは…と思わずにはいられない。もちろん、一番感じているのは須永自身だろう。朴訥な30歳の言葉が胸に響いた。(記者コラム・大林 幹雄)

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