もし筒香が今でもスイッチヒッターだったら…

[ 2016年9月17日 09:50 ]

DeNAの筒香

 歴史の「if」を想像するのは面白い。もしも、あの時…。DeNA・筒香嘉智外野手に当時の事を聞いた。今や球界を代表するスラッガーになった24歳は、笑いながらちょっぴり残念そうな表情を見せた。「今になれば、“もうちょっとやっておけば良かったかな”と思いますねえ」。覚えているファンは少ないかも知れない。彼は母校・横浜高時代まで「スイッチヒッター」だった。

 小2で野球を始めた時は右打ち。その後に両打ちとなり、高校でもサイド、アンダースローなど変則左腕と対戦する際は右打席に入っていた。高校通算69本塁打のうち、2本は右で放ったもの。当時は「右で打てば左のここが足りない、逆に左なら右でのポイントが…というのが感覚的に分かる。勉強になるんです」と話していた。

 そして09年ドラフト1位で横浜(現DeNA)に入団。2軍スタートだった翌10年の春季キャンプでは「(当時の2軍監督の)田代さんに“右と左、両方やっておけ”と言われて、最初はスイッチで練習していたんです」。しかし2月下旬、1軍に合流した際に首脳陣の方針などもあり「左打ち専念」が決まった。以来、筒香は1度も右打席でスイングしていない。

 スイッチヒッター。メジャーでは56年に3冠王に輝き、通算536本塁打のミッキー・マントル(ヤンキース)ら両打ちながら長距離砲の打者は数多い。日本ではイメージが違う。俊足の右打者が、その走力を生かすために左打席にも挑戦、のパターンが多いのではないか。そんな中で、松井稼頭央(楽天)は日本人のスイッチヒッターで唯一のシーズン30本塁打(西武時代の02、03年)を記録。松永浩美(元阪急など)は1試合左右打席本塁打を6度マークし、通算203本塁打を放った。もし、その系譜に筒香が連なっていたら…。

 13日のヤクルト戦(神宮)で今季40号アーチ。チームの左打者では初の大台で、高卒7年目での到達は99年松井秀喜(巨人)以来だった。「もうちょっと長くやっておけば…」と冗談めかして笑った24歳。両打ちにして、右へ左へと特大アーチを連発する。if。もしかしたら、そんな未来があったのかも…と夢想するだけでも楽しい。そして「左打者」として、超一流の領域に到達しようとしている筒香のさらなる未来を思い描くのも、また楽しい。(鈴木 勝巳)

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