【内田雅也の追球】阪神・北條 “出発の月”飾る好走

[ 2016年9月5日 09:40 ]

<神・D>8回1死一塁、上本の中前打で一塁走者・北條が激走し三塁に進む

セ・リーグ 阪神3―1DeNA

(9月4日 甲子園)
 阪神8回裏の逆転を引き寄せたのは1、2番の好走塁である。1死から北條史也、上本博紀の連打で二、三塁をつくった快走である。

 上本の中堅右への安打で一塁走者・北條は二塁を蹴って三塁を奪った。8―6―5と中継の三塁送球は間一髪セーフ。この間に打者走者の上本も二塁を奪った。

 「よく走ったね」と試合後、三塁ボックスに立つヘッドコーチ・高代延博もたたえた。「やや右中間寄りの打球で、右投げのセンター(桑原将志)は(送球には)逆モーションになる。あれが左中間寄りなら三塁進塁は無理だった」

 この三塁を狙う判断は北條自身のものだ。むろん三塁ベースコーチはいるが「目の届く打球は走者自身が判断するのが一番」と指導している。コーチを見てからの判断だと一瞬遅れる。「それでも、すぐにこちらを見て頼ってしまう走者が多いが、今日の北條は見事にできていた」

 北條が二塁ストップだと一、二塁。むろん二、三塁の方が大きい。特にこの夜は意義深かった。

 なぜなら、続く高山俊の中前同点打がライナー性で、中堅手・桑原が飛び込むほどだったからだ。捕球したかに見え、走者はスタートが切れない打球だった。グラブから白球がこぼれ、審判が「セーフヒット」と両手を広げてからハーフウエーの三塁走者・北條が同点の本塁に還った。

 この時、二塁走者・上本は一度帰塁しており、三塁に進めなかった。高代も「あれは仕方ない」と認める自重だった。つまり一、二塁では次の中前打で良くて満塁か、センターゴロの危険もあった。いかに好走が効いたかが、これで分かる。

 この日は『ああ甲子園』(1977年・朝日放送)など名番組を手掛けたテレビ制作者、萩元晴彦の忌日だった。その名も『甲子園を忘れたことがない』(日本経済新聞社)で<八月は高校野球のゴールだ。九月は出発の月である>と書いた。

 3年生が抜けた新チームを指す。萩元は松本中(現松本深志高)のエースとして47年夏の甲子園大会に出場していた。

 <九月の声を聞くと、私はおぼつかない、手さぐりの、しかしひたむきな私たちの高校二年の秋を思い出す>。

 阪神も再出発の9月である。確かに手探りで、足取りはおぼつかない。問題はひたむきかどうかである。 =敬称略=
 (スポニチ本紙編集委員)

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2016年9月5日のニュース