創価大・田中 東京五輪金への未来予想図 理想は「今の大谷君」

[ 2016年8月23日 10:30 ]

色紙に「成長の4年」と記し、日本画の前でポーズを決める創価大・田中

 20年東京五輪では野球・ソフトボールが08年北京大会以来、3大会ぶりに実施競技として復活する。野球界にとっては12年ロンドン、今回のリオで縁がなかった「五輪の金メダル」が新たな目標となる。今秋ドラフトの目玉で、将来の侍ジャパンのエース候補と目される創価大・田中正義投手(4年)がインタビューに応え、「五輪」を語った。 (聞き手・青木 貴紀)

 ――野球・ソフトボール競技が五輪の舞台に戻ることが決まった。

 「野球をやっている身として素直にうれしい。野球をやるからには五輪に限らず、トップチームの日本代表に入れる実力を目指してやっていくべきだと思っている」

 ――五輪の印象は。

 「普通の人では計り知れないプレッシャーを抱えている中で、自分のベストのパフォーマンスを発揮できている選手に尊敬の念しかない」

 ――リオでは日本勢がメダルラッシュだった。

 「凄いなと思う。あれを東京でやるとなると今の盛り上がりどころじゃないと思う。そこに(日本代表として)いられたら凄く幸せなこと」

 ――野球が最後に実施された08年北京五輪で日本は4位だった。

 「当時は14歳。星野さんが監督をやっているイメージが印象深い。あと、G・G・佐藤さんが落球したシーンは強烈に記憶に残っています。本当に気の毒というか…。日の丸を背負うプレッシャーと戦う経験を味わってみたい、と幼いながらに思って見ていたと思います」

 ――大学2年時にハーレム国際大会で初めて日の丸を背負った。

 「大学のリーグ戦とは違う感覚で、素直に外国人選手との対戦を楽しんでいました。特に怖さは感じなかった。日本人はチームで作戦を立てるけど、海外の選手は自分の思うままというか、個人の感覚でプレーしていて自由な感じがした」

 ――昨年はユニバーシアード大会で金メダル獲得に貢献した。

 「決勝が雨天中止になって台湾と同国優勝だったので、日本選手はみんな悔し涙を流していた。即席でも本当に良いチームができるんだと感動した。日の丸の重圧というより、監督やコーチの思いに応えなきゃという思いが強かった」

 ――東京五輪のマウンドに立つことが期待される。どう成長していきたいか。

 「五輪に出るとしたら、今まで味わったことのない重圧になるだろうと思う。まずはこの秋に大学日本一を獲る。そしてプロに入って、シーズンを通して活躍したい。それを達成しない限り何も言えないし、イメージは湧いてこない」

 ――4年後にあるべき理想の姿は。

 「ベストは今の大谷君(日本ハム)の姿ですね。大谷君の真っすぐ、スライダー、フォークが今の僕が目指すべき姿。大谷君も今がベストではないと思うが、4年かけて何とか近づけたらいいなと思う」

 ――同学年の大谷、藤浪(阪神)が代表トップチームで活躍している。

 「彼らは同い年というより日本を代表する偉大な投手。前田健太さん(ドジャース)や田中将大さん(ヤンキース)らと同じように見ている。いつかは自分もそういうレベルにいきたいという思いはある」

 ――現在の最速は156キロ。球速の目標は。

 「常時150キロ台後半を出せるようにしたい」

 ――いつかは160キロの大台も。

 「もちろん投げたい気持ちはなくはない。投げたら(チームや球場が)盛り上がると思う。そういった意味では投げてみたい気持ちがある」

 ◆田中 正義(たなか・せいぎ)1994年(平6)7月19日、神奈川県生まれの22歳。小1から野球を始める。創価では1年夏に背番号1をつけ、右肩痛により同年秋から外野手転向。甲子園出場なし。創価大で投手に再転向し、3年春から4年春のリーグ戦まで56イニング連続無失点を記録した。リーグ通算16勝1敗、防御率0.37。2年時の全日本大学選手権で3勝を挙げ特別賞。大学日本代表では3年夏のユニバーシアードで金メダルに貢献した。1メートル86、91キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2016年8月23日のニュース