大学野球でともにプレー 記者として阪神・江越“先輩”に恩返しを

[ 2016年8月19日 11:30 ]

14日の中日戦1回1死二塁、江越は左中間に7号先制2ランを放つ

 まさか取材する立場になるとは思わなかった。私はスポニチに入社してすぐに阪神担当に配属された。チームには駒沢大野球部時代の1学年先輩だった江越選手が所属。ほんの2年前まで同じグラウンドでプレーし、同じ寮生活をしていた選手を記者という目線から見ることになった。

 大学時代の“江越さん”は下級生の時からチームの主軸。体格も大きく威厳もあり、『気安く話しかけられない』と思うぐらいに風格があった。だが、そんな江越先輩の優しさに救われたのは、私が大学3年生の春のことだった。

 当時、私は東都大学野球春季リーグ戦の開幕第2戦で初めて公式戦にスタメン出場する機会を与えられた。夢にまでみた神宮球場の舞台。スターティングオーダーが発表された前夜は緊張と興奮で全く眠れなかった。そんな時、急に私の部屋のドアが開いた。そこにいたのは江越先輩だった。

 「もしかしてお前、緊張してる?(笑い)お前がもしダメでも、俺ら(4年生)がなんとかするから。考えすぎずに思い切りやればいい。もし寝れないんだったら、眠くなるまで『これ』でも見てたらいいよ」

 そう言って渡された『これ』とは、翌日の相手投手が映っているDVDだった。嬉しかった。緊張して眠れないだろうと察してくれていたのか。わざわざ自分のためにここまで気遣ってくれた先輩の思いが心の底から嬉しかった。正直、そこまで親密な関係ではなかったと思う。野球部の上下関係もあって、グラウンド以外で私的な話をすることも少なかった。どこか遠い存在に思えていた先輩だったからこそ、無性に心が躍った。

 そのおかげで私はDVDに映っていた投手から公式戦初安打を記録。その時に真っ先にハイタッチを求めてくれたのも、自分の事のように喜んでくれたのも江越先輩だった。

 当時、江越先輩はドラフト候補に名前が挙がりながらも、同リーグを38打数7安打、打率・184で本塁打0という成績で終えた。プロに注目されながら思うような結果が出ない苦しみは計り知れないものだったはず。そんな状況下でも決して態度に出さず、自分を気に掛けてくれた先輩には今でも感謝してもしきれない。

 あれから2年が経った。伝統ある阪神タイガースのユニホームに袖を通してプレーする先輩を、私はスーツ姿で取材している。選手と記者の関係になって初めて会った4月19日。甲子園球場でこう言われた。「変な気を使うなよ」と。

 “恩人”である先輩が、タイガースの不動の主砲になるのをこの目で見て、報じたい。そして、マスコミという立場から“あの時”の恩返しを、少しずつしていきたいと強く思っている。(巻木 周平)

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2016年8月19日のニュース