さらば豊田泰光さん ヤジに負けず 監督怒声に屈せず 誤解恐れず

[ 2016年8月16日 09:30 ]

15年11月に川崎市内で中島記者(右)の取材に応じた豊田さん

豊田泰光氏死去

(8月15日)
 【番記者が悼む】豊田さんは、負けん気の強い人だった。西鉄で1年目から遊撃を守ったがシーズン45失策。あるとき業を煮やした三原監督が「下手くそ!」と怒鳴ると「その下手くそを使っているのはだれですか」と返した。平和台のファンに激しくヤジられても上を向き胸を張ってベンチに戻った。「卑屈なのは嫌いだ。俺はいつも正々堂々の人生を歩いてきた」というのが自慢で、エラーのミスをバットで返すうちに超一流の選手になった。

 「辛口・豊田」と言われると「俺は日本酒じゃない」と切り返したが、なれ合いや傷のなめあいが大嫌いだった。投手が連打されると外野からの返球を投手にゴロで返した。鉄腕・稲尾がピンチに陥ると「俺のところに打たせるな。エラーするからな」と脅した。後年稲尾さんは「あれは内角に投げて引っ張られると危ない、外角に投げろということだったと分かった」と話したが、ズバリと本質を言うから誤解も受けた。

 それでもその裏に熱い人間愛、野球愛があることに気づいた人は少なくない。西鉄OB会長として「黒い霧事件」で永久追放処分を受けた池永正明さんの復権に取り組んだ。手弁当で池永さんの地元・下関に何度も足を運び、コミッショナーに嘆願書を届けて05年の処分解除につなげた。

 07年に稲尾さんが亡くなると「稲尾は西鉄に、野球に尽くして死んだ」と大泣きした。西武が08年から始めた「ライオンズ」の復刻ユニホームで試合を行う「ライオンズクラシック」ではプロデューサーを歴任。12年に稲尾さんの背番号24が球団初の永久欠番となる道筋をつけ、記念試合では全員が「24」をつけた西武ナインを見て涙した。

 人とは群れずに孤高を貫き、西鉄時代の博多で知り合った筑豊出身の妻・峯子さんと純愛を貫いた。豪快で繊細でやさしかった「野武士」の顔がもう見られないと思うと寂しくてたまらない。 (前西部本社編集局長・中島 泉)

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